数珠つなぎのインタビューは、話をお聞きしてから新聞に載るまでの期間がかなりあくことがあります。1班内にお住いの松木徹さんからお話をお聞きしたのは、実は今年初めて積雪した日。窓の外で雪が舞う中のインタビューとなりました:;(∩´﹏`∩);:サムイヨー!
―ご出身はどちらですか?
松)西宮市の南側、阪急今津駅の近くの津門(つと)で育ちました。私たち夫婦が船坂に来るまでそこに住んでいましたし、今は息子世帯がその家に住んでいます。
―子ども時代はどんなお子さんでしたか?
松)そうですねぇ…。小学・中学・高校とずっと皆勤・精勤賞をもらうぐらいでしたから真面目だったかもしれません。でも、大学生になってから不真面目になってしまいました(笑)。大学に入ってから三宮のそごう百貨店でアルバイトをし始めたんです。一日働いても2,000円にしかならない時代でしたけど、それでもずっとバイトしてましたね。あとは三宮で映画を見たり明石で麻雀したりといったところです。
―お勤め先はどちらでしたか?
松)大学卒業後、2年ほど自動車販売ディーラーとして働いてましたが、知人の紹介で深く考えることもなく社会福祉施設の面接を受けて採用、障害者福祉施設に勤めることになったんです。福祉施設では身体を動かしやすい服装が基本なのに、勤務初日にスーツ姿で行くなど、当時は本当に軽く考えていたんでしょうね(苦笑)。スーツ姿なのに初仕事が畑仕事で、どうしようと途方にくれていた時、子どもたちが「連れてってあげる」と手を引いてくれたんですよ。その時は本当に救われましたね。
―全く畑違いの仕事ですから大変だったんでしょうね?
松)その通りです。今まで触れたことすらない世界でしたし、施設内だけでなく対外的な仕事もしないといけなかったので本当に大変でした、それでも頑張って施設が廃止になるまでそこで働きました。その施設に実習生として来ていた保育士志望の学生と知り合いましたが、それが今の妻です。
―船坂に移ってきた経緯は?
松)私の母と6班の善塔さんが姉妹で、善塔さんが先に船坂で住み始め、その後、土地があるからと声をかけてくれて親が船坂に移ってきたんです。私たち夫婦が実際に船坂に住み始めたのは10年ほど前でしょうか。
―当初、船坂でデイサービス業をされてましたよね?
松)そうです。老人ホームを定年前に退職し、自分で福祉関係業をしてみたんですが、なかなか上手くいかず廃業しました。同業者が数多かったり、船坂の高齢者の方々はみんなお元気(笑)というのもありますが、同じ一人暮らしのお年寄りでも都会のアパート・マンション暮らしの場合と船坂の場合とでは、必要とするサービスタイプが違っていたのかもしれません。今後、微力ながらも船坂に貢献したいと思います。
(インタビュアー:中西 学)