久方ぶりの数珠つなぎでございます(;^_^。今回は4隣保の山泰幸(よしゆき)さんからお話をおうかがいしました。実は41・42号でまちづくり研究者として山さんに登場いただいていますが、今回は船坂住民一個人の話を色々聞かせていただきました。乞うご期待(^_^)。
―山さんが船坂に住み始めてから10年超ぐらいでしょうか?
山)確か船坂には2009年に引っ越してきました。生まれは尼崎市内ですが、育ちは新大阪駅近くなので浪速っ子になりますかね。小学生時代は大阪の子らしく、おちゃらけで、人を笑わせるのが好きで、本当に落ち着きのない子でした(苦笑)。サッカー・野球はもちろん、チャリ(自転車)乗り回したり魚釣りしたりと、外で遊んでばかり。だけど将棋も好きだったし図書館の歴史ものを全部読みつくしたり、古代史に関する新聞記事の切り抜きも集めたりして…。とにかく好奇心旺盛だったんでしょうね。
―それじゃあ中学・高校時代も部活は運動系ですか?
山)中学は剣道部に、高校は囲碁将棋同好会(笑)でした。なぜか私が入部する時はどちらも部員が先輩2、3人しかいなくて、すぐに部長になれると先輩に誘われて入りました(笑)。最初は、細々と地味に活動していましたが、どちらも私の下の学年から入部者が増えて活発に活動するようになりまして、囲碁将棋同好会は全国大会に進むぐらいにまでなったので、運がいいのか悪いのか、変な力があるのかもしれません(笑)。
―そういう星回りなのかもしれませんね(笑)。大学はどちらに?
山)子どもの頃から、古代史に関心があり、当時、吉野ヶ里遺跡の発掘で邪馬台国ブームに沸いていたこともあり、九州大学で考古学の研究に打ち込みました。そこで一人暮らしをはじめ22歳まで過ごしましたが、私の研究が民俗学に近く、ぴったりの先生がいるとの指導教授の勧めもあって、卒業後、大阪大学の大学院に進学し、大阪に戻ってきました。予備校や家庭教師等のバイトで生活費・研究活動費を稼ぎ、関心の赴くまま人類学や思想史、社会学など研究分野を広げながら、国内外の大学で研究三昧の日々を過ごした後、33歳で関西学院大学に務めることになって今に至ります。33歳にして初めて職を得たわけです(笑)。
―船坂で暮らすことになったきっかけは?
山)レストランAlice で食事をして「いいところだな。住みたいな」と思ったのがきっかけです。引っ越し時は既に子が2人いたんですが、実は私が車の免許を持ってなくて、妻に送迎してもらっていましたが、子も増えてそうもいかなくなり、徳島県まで免許合宿に参加して慌てて免許をとりました(笑)。
―今はどのような研究をされているんですか?
山)若年者減少・高齢者増加地域での防災・減災、持続的な地域復興の研究をしています。これには地域の歴史や文化を押さえたうえで対策を講じることが大切なので、考古学や民俗学で学んだことがとても役に立っています。
(インタビュアー:中西 学)