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船坂住民数珠つなぎ 山野浩司さん

 今回は9隣保の隣保長を務める山野浩司さんからお話をお伺いしましたが、新型コロナウィルス騒動真っ最中で里山学校が使えず、今は閉所されたJA船坂のふれあい会館で聞き取り。この原稿が世に出た今、果たしてコロナウィルス騒動は沈静化しているのでしょうか?…(;^_^

―山野さんは昔から下田のお住まいなんですか?
山)出身は大阪の庄内なんですが、下田に住んでいた山﨑ウトが私の祖母で、幼い頃よく遊びに来ていたんです。来た時は虫取りに夢中でしたね(笑)。気管支を悪くしたので空気のよいところに住むことになり、小学2年生の時に船坂に引っ越してきたんです。

―街中から少人数の船坂小学校への転校で、とまどいはありましたか?
山)特に感じませんでしたね。ただ、小学校まで歩いて約40分もかかるので毎日大変でした(苦笑)。学校では野球をしたりして、家でなく外でばっかり遊んでました。

―すると中学・高校も運動系のクラブ活動でした?
山)山口中学校ではサッカー部、宝塚高校に進学して入った野球部ではより部活動に熱中していましたが、バス通学になってすごく不便になりました。なので、もう時効だから言いますが、バイク免許を取って2年生からは宝塚までバイク通学して不便さを解消しました(苦笑)。高校卒業後は興味のあった音響の専門学校に進んで技術を学び、音響会社に就職しました。その間もずっと船坂から通ってましけど、交通手段はバイクから軽自動車にグレードアップしました(笑)

―音響関係とは、また運動系とは畑違いなイメージですね。
山)確かに。同級生からも「お前が何で音響やねん?」と驚かれたこともあります。でも、小さいころから機械いじりが好きで音楽も聴くのは好きだったんですね。だから必然的に好きな道に進みました。世代的には山口百恵・キャンディーズ・松田聖子・中森明菜等をよく聴いていました。28歳で会社から独立、「ビーンズ サウンド」という名で個人事業を自宅ではじめて今に至ります。

―現在まで船坂以外で暮らされたことはないんですか?

山)ありませんねぇ。バブル全盛時は大忙しで睡眠時間も3時間程度しかとれず、大阪市内に住めばもっと眠れたんでしょうが、どうも水が臭くて住む気になれなくて…。それに船坂には、四季に応じた自然の匂いがするんですよね。この感覚は手放したくないという思いはありました。
―趣味・好きな事って何かありますか?
山)趣味というか、お酒は好き(笑)。あとはグルメですかね。仕事柄、全国を回る時があるんですけど、その時の楽しみはやっぱり土地ごとの美味しい料理とお酒になります。4歳の娘に言わせると「トーチャンの好きなものはハイボールとまぐろ!」なんだそうです(笑)。

(インタビュアー:中西 学)


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