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船坂住民数珠つなぎ 鮫貝雅祥さん

20150118船新記事(数珠つなぎ鮫貝雅祥さん) 加工

前日も小雪がちらつき、冬本番を迎えた船坂で、今回は”農業一筋”でこられて、今年87歳を迎えられる5班の鮫貝雅祥(まさよし)さんからお話をお聞きしました。

―お生まれはどちらですか。

鮫)生まれは三田の母子(もうし)です。実家も農家で5人兄弟の4番目ですけど、兄が若い時分に亡くなったりしたんで、小さい頃から家の手伝いをしていました。

―結婚当時の話をお聞きしたいんですが…

鮫)そんな昔のこと、よう覚えてません(笑)。人の紹介でお見合いして、そのまま結婚しました。祝言は三田であげて、そこから鮫貝の家に入りました。新婚旅行は白浜で、三段壁に行ったことを覚えてます。確か昭和28年頃でしたわ。

―船坂に来て印象的だったことはありますか?

鮫)三田も寒かったけど、船坂も同じぐらい寒かった。あと、船坂に来てすぐやったと思うけど、小学校の校舎を建設するのに、裏山を削って整地するのを地元の住民が交代でやりました。珍しいことやから、その奉仕作業がやっぱり印象に残ってます。

―農業のほうはどうでしたか?

鮫)昔は今の家より上のところに住んでたし、今の家の場所やふる里の家の下あたりに田んぼと畑があったんで、坂の上り下りがほんとに大変やった。ほぼ一人でやってたしね。木株に巣をつくってたスズメバチに襲われた時もありましたな(苦笑)。あと、船坂に来た時からもうパセリは確かうちのところも作ってましたわ。パセリは出荷組合を作って大阪の市場までトラックで運んで、しょっちゅうだすほど人気がありましたな。私もここに来て必要やから車の免許を取りました。春から秋までは常時とれるからええけんど、冬も何とかしよかということで、ビニールハウスをたてて作ってました。冬の時期は有志5、6人で大阪でなく西宮の方に卸してましたな。あと、珍しいところでは種をわけてもらって、ウチも含めた3、4件の家で細なが~い青味(あおみ)大根を作ってましたが、その種ももうなくなってしまいました。

―農作業は楽しいですか。

鮫)今はもう歳で足腰も弱ったから畑仕事はできんけど、見に行ったりはします。やっぱり農業が好きなんですかな。


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