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船坂住民数珠つなぎ 矢田貝歩さん

今回は2隣保の矢田貝歩(やたがい・あゆみ)さんから話をお聞きしました。旧姓は西口で、ご主人(矢田貝健さん)・3歳の双子の女の子・1歳の男の子のヤングファミリー絶賛子育て奮闘中の若ママさん。そうそう、同居のじぃじ・ばぁばも絶賛孫の世話奮闘中とのこと(^_^)。

―小さい頃の船坂の思い出って何かありますか?
矢)そうですねぇ…。船坂保育園と山口幼稚園に1年ずつ通いましたが、山幼はタクシー通園していました。公会堂の前で乗り降りしてました。阪神大震災の時は父が消防士でたまたま家にいたんですが、地震直後も慌てずテキパキ指示を出す姿を見て「すごいなぁ」と頼もしく思いました。その後、仕事で何日も家にいなかったですけど(笑)。船坂小学校時代ですが、同級生8人(卒業時)の仲が本当にとても良かったです。普通の学校は遠足だとバスを手配するんでしょうが、船坂はいつもの阪急路線バスだったので、道中は子供心にスリルを味わっていました(笑)。

―少人数ならではですね(笑)。中学校は?
矢)武庫川女子大学附属の中高一貫校に進みました。私以外みな山口中学だったので悩みましたが、親の勧めもあったので。中高の6年間はマーチングバンド部に所属しました。ほぼ体育会系の厳しい部で、「あっ、定位置からズレてる!」と焦っている夢を今でも見るぐらいです(苦笑)。

―充実した中高時代ですね(笑)。その後は?
矢)大学は英語文化学科に進みました。中・高・大と女子一色だったので、子どもには共学を勧めたい(笑)。就職するまで船坂暮らしだったので、親の約10年もの送迎にはすごく感謝しています。でも私の成人後は、親が好きなお酒が飲めないので「友だちの家に泊まってき~」と言われ、私も飲み会の時は「泊まってくる~」と言って大好きなお酒を楽しんだこともたまにあったかも(笑)。就職先は銀行の外国為替の事務職で、就職を機に船坂を出ました。

―ご結婚はいつ頃ですか? 船坂に帰ってきた理由は?
矢)結婚は2014年です。産まれた双子がかなり小さく、応援が必要で船坂に戻りました。仕事の都合で最初は来れなかった主人も船坂に来てくれて、今は武庫之荘で仕事していますし、私も4月頃をめどに復職予定です。また、親が船坂でお店を開く予定なので、お店と船坂地域を何か結びつけるようなことが出来たら…と思っています。

―これからの船坂の生活で不安に思うことと楽しみと思うことは?
矢)楽しみは、今の家が手狭なので別に家を建てたいと思っていて、いつか実現させたいです。不安は、うちの子と同世代の子どもが地域に少ないので、小学校に上がった時に委縮してしまわないか…ですが、不安より楽しみのほうが大きいですね。船坂は魅力がたくさんあるので、同じように思う人が船坂に住んでくれて、そういう人たちと繋がりが出来ていければいいなと思っています。

(インタビュアー:中西 学)


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