今回は63号に登場の大前忠司さんの弟さんで10班の大前武夫さんから話をお聞きしました。10班の成り立ち・船坂の野球部&剣道部・交通指導員の話など、地域に関わってきた大前さんならではの話に物知らずの私は「へぇ~」「ほぉ~」を連発するばかりでありました(;^_^。
―大前さんが船坂に来られたのはいつ頃ですか?
大)大ぶくらのあたりで「船坂団地」と呼ばれてたところに引っ越してきたのは昭和50年頃でしたわ。平木の入り口前にパン屋・JA近くに魚屋がまだあった時代です。団地はまだ7,8軒しかなく、防犯灯はない・進入路も1か所(盤滝道の西4班側)のみ・水道本管も途中から仮設扱いで自主管理等々、何とかせなあかん状態だったんです。冬場の水道管対応は根雪でほんま大変でしたわ(苦笑)。まずは団地も自治会に入れてもらおうと話をさせてもらい、多くの人の協力で自治会入りできた後は、水道管等の整理が進み、新たな進入路も設置されて、ほっとしました。
―大変な苦労があったんですねぇ。 船坂の野球部にも入ってましたよね?
大)10班で野球部作ろかという話があがったんです。それまでも船坂で野球チームがあったようで、ユニフォーム等を譲ってもらったりしましたが、やっぱり10班だけでは人が足りない(笑)。それでいろいろ声をかけるとたくさんの人が入ってくれて「船坂パセリーズ」が誕生しました。特にとある兄弟バッテリーが入ってからは山口町や三田の草野球リーグのなかでも強いチームとして名前が広まりました。山口町のソフトボール大会にパセリーズが参戦して、それまで優勝常連だった北六甲台チームを破って優勝した時は他の山口町チームが喜んだもんです。でもパセリーズが続けて優勝すると、いつの間にか呼ばれへんようになりました(苦笑)。その野球部も今は活動がなくて残念です。あと、子どもの剣道部の世話役もしてました。地域の人が指導のために剣道を習い始めてくれたり、体育館設立10周年時に7団体ほど招いて大会を催したのもいい思い出です。
―地域の交通指導員も長くされていますよね?
大)30年以上指導員しています。交通指導員制度も市の安全都市宣言を契機に市長と西宮・甲子園警察署長の委嘱で発足したのに今は警察の支援も減り、ほぼ指導員だけのボランティア運営で大変な状況ですわ。船坂での指導員は私ともう1人で、地域行事時の歩行者保護誘導や安全運動中の指導立ち番等してますが、山口町全体では指導員不足。指導員制度が知られていないのも問題で、子どもらの道路横断保護も相談があれば検討出来ますが、相談がなければ検討すら出来ません。まずは指導員増加が切実な問題です。
―今までたくさんの事をされてきたんですね。
大)でも、それは船坂の皆さんが力をあわせてくれたからこそ出来たんですわ。そのことは本当に感謝してもしきれませんね。
(インタビュアー:中西 学)