- 船坂での寒天づくり (文:宮本 守)
船坂の寒天製造の起源は古く、明治18年頃と云われています。寒天づくりの最盛期は大正末期から昭和の初期にかけてであり、昭和の初期には、船坂より金仙寺までの船坂川の両岸には大小15もの寒天工場が立地していたようです。
船坂で作られる寒天は、細寒天(糸寒天)で、高級品とされていました。少なくとも生産者は誇りをもって、船坂の寒天はNO.1と自負していたと思います。戦前は内需だけでなく中国への輸出も盛んでしたが、戦後は、経済の変動や時代の変革等により、輸出や内需は伸び悩んで、船坂の寒天づくりは衰退していきました。現在でも寒天は、日本の各地で製造されているようです。
寒天は12月から翌年2月の厳寒期に製造されます。船坂は冬季の夜間温度が低く乾燥がちで、また水も豊富にあり、寒天づくりには最適の条件を備えていると思います。
私は、父が寒天の製造をしていたので、子どもの頃より冬場は寒天工場で過ごしました。喜寿を迎えた私にとって寒天づくりの回想は、古い昔話になってしまうのですが、40年~70年前のことを回想するとき、今でも職人さんたちの笑顔が思い浮かんできます。寒天づくりの作業唄など織り込みながら昔を思い起こしてみたいと思います。
<寒天づくりの作業唄>
冬は寒天夏ァトコロテン
わたしゃあんたに有頂天
<昭和15年頃の寒天工場位置表。宮本守氏提供>
位置 工場名 事業主 位置 工場名 事業主
① 鮫貝寒天工場 鮫貝直二 ② 古薮寒天工場-1 古薮広一
③ 古薮寒天工場-2 古薮広一 ④ 古薮寒天工場-3 古薮広一
⑤ 西口寒天工場-1 西口儀三郎 ⑥ 西口寒天工場-2 西口儀三郎
⑦ 西口寒天工場 西口佐一 ⑧ 札場寒天工場 札場八七
⑨ 坂本寒天工場 坂本広巳 ⑩ 友安寒天工場 友安利次
⑪ 宮本寒天工場 宮本繁夫 ⑫ 辻寒天工場 辻 伊太郎
⑬ 作田寒天工場 作田 昇 ⑭ 摂津寒天下田工場 (株式会社)
⑮ 摂津寒天滝谷工場 (株式会社)