3 船坂の集落所属

(1) 江戸幕府の直轄領
「元和6年(1620年)12月8日、有馬郡領主有馬玄蕃豊氏は九州久留米に封印され、船坂村は幕 府の直轄領となり、治維新まで続いた。」(山口村誌)

(2) 江戸時代の検地
「延宝7年(1679年)8月7日有馬郡船坂村検地帳には百姓93名の持高などが記載されており、 船坂村全体で持高310石、2069畝である。」(山口村誌)

(3) 廃藩置県直後の船坂村は、有馬郡19区に所属した
「明治4年に廃藩置県が行われ、治5年8月に船坂は有馬郡19区に改編整理された。
有馬郡19区の郡役所所在地は船坂村に置かれた。有馬郡所属町村名は、 船坂村、名来村、下山口村、上山口村、中野村、生瀬村、名塩村、湯山町、塩田村、 平田村、生野村である。初代の有馬郡区長は、平井佐右衛門(船坂村)が任ぜられた。」(山口村誌)

(4) 下山口組(山口村)に加入
「明治16年7月政府が連合町村制をしいたため、それまで単独性をとっていた船坂村も下山口組に加 入した。明治22年4月に町村制となり下山口組は山口村となった。」(山口村誌)

(5) 西宮市に合併
「昭和22年に神戸市に合併を申し入れだか、神戸市はなぜか確な態度を示さなかった。その後昭和 26年3月山口村議会で西宮市との合併を議し、同年4月1日に西宮市に合併した」(山口村誌)

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