船坂住民数珠つなぎ 宮本和子さん

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今月は、2班(旧3班)の宮本和子さんのご登場です。

-ご出身はどちらですか。

宮)出身は篠山市の今田町です。実家が高野豆腐の製造をしていた関係で、船坂の寒天製造も冬場の作業がよく似ているなぁ……と思ったことを覚えています。ある人の紹介で見合いをすることになったんです。

-なにかのご縁があったんですね。

宮)でも、船坂は西宮市と聞いていましたので、てっきり阪急沿線だと思いこんでいたんです。だから船坂に行くのにバスが山を登りはじめたときはビックリしました(笑)。

昭和37年に嫁いできたとき主人は会社勤めで、義父が冬場は寒天製造、夏場は蔬菜作りをしておりましたので、寒天工場の食事の準備や蔬菜の収穫の時には、私も義父の車に乗せてもらってお手伝いしておりました。義父が亡くなってからは〝これはもう自分で運転するしかない!〟と思って、若い学生さんたちに混じって教習所に通って免許を取ったんです。当時は女性の運転者が少なくて、出荷場では皆さんに誘導してもらったことが懐かしく思い出されます。

-今は落ちつかれたと思いますが、趣味は何かお持ちですか。

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宮)水墨画を描いたりしていますが、ボケ防止で何かないかと考えてはじめたのが俳句と川柳です。全くの自己流ですけど神戸新聞等に投稿して楽しんでます。ごくまれに選んでもらえる時があって、そんなときはやっぱり嬉しいですね。最初の入選作はお題が「草」で、『雉鳥の巣立ちを待って草を引く』でした。また、加東市の誕生記念で市が川柳を公募していて、『ふる里の 母に市と書き 初便り』と投句したら、文化連盟会長賞という賞をいただくことになりました。全く思ってもみなかったので授賞式のとき、手と足がブルブル震えたのを覚えています(笑)。

-発表する場があるとやっぱりいいですよね。

宮)そうですね。有馬グランドホテルでも川柳を募集していたので、『ねねさまも ここで眺めた 有馬の湯』という句で応募すると、ホテルの社長賞に選んでいただきました。とても嬉しかったです。発表の場があって、それを目標にすれば作るのがより楽しくなるし、自分の励みにもなります。全くの自己流なので、いっそうそう思うのかもしれませんね(笑)。

今は船坂にきて52年。住めば都となりました。

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