船坂住民数珠つなぎ 土肥和代さん[西洋料理 船坂]

今は船坂にいくつかオシャレなお店がありますが、その先駆けといえる「西洋料理 船坂」の奥様、土肥和代(どひかずよ)さんからお話をお聞きしました。お店は今年で25周年とのことで、そんなに月日が経ったのかと巡る速さに本当に驚き。そりゃ私もジジィになるわなぁ…(;^_^。

―恥ずかしながら、小櫻正人さん(新聞86号にご登場)のお姉さんと知ったのはつい最近です…(汗)。
土)結婚して姓が変わっていますから(笑)。私が生まれた時、家は3世代に叔父叔母なども一緒に住んでいる大所帯で、私たちはとても可愛がってもらいました。船小卒業後は中高一貫校に進み、就職先も大阪でしたので、結婚するまでバスで通っていました。雪が積もると歩いて帰ることもあり、この土地ならではの苦労もありました(笑)。

-お勤めはどちらに?
土)短大卒業後、大阪の住宅系化学メーカーでマーケティング事務の仕事に就きました。28歳で結婚、豊中市の服部緑地で新居生活をはじめ、29歳で退職し子育てに専念しました。

-事務職から飲食業に進んだきっかけは?
土)友達の紹介で知り合った夫(土肥裕治さん)は、京都御所のすぐ近くで生まれ育った、いわゆる街中の子。当時は京都や大阪のホテルのシェフをしていましたが、はじめて船坂に来た時、山・川・田畑の自然な風景が身近…というかすぐ目の前に広がる風景をすごく気に入り、「いつかこの場所で自分の店を持ちたい」と夢をもったようで。

-船坂に飲食店がほとんどない時ですが、不安はなかったですか?
土)正直、私はものすごく不安でした(苦笑)。それでも夫の思いを尊重し、実家の協力も得て、平成5年に「西洋料理 船坂」をオープンしました。当時は服部緑地の家から通い、子育てをしながらのスタートでした。私にとっては初めての飲食業で手さぐりでしたが、スタッフ面では弟一家が協力してもらったり、船坂の方にも法事等でご利用いただいたり、いろんな方とのご縁とご厚意が、今につながっていると感謝しています。おっしゃるとおり当時はまだ船坂に飲食店のない時代でしたが、地域の新聞やタウン誌にPRしたことや、有馬温泉へ来られたお客様の口コミもあり、今はリピーターのお客様にも多くご来店いただいています。

-船坂に来られたのは何年前ですか?
土)子どもも自立したので、夫婦で4,5年前に転居してきました。ご無沙汰だった近所の人から「和代ちゃん」と呼ばれるのが嬉しいです(笑)。夫は並々ならぬ決意でこのお店をはじめ、すごく力を注いでいるので、仕込みは今でも夫一人。予約の多いときは徹夜をすることもしばしば。ホールも基本的に私一人ですが、楽しくお食事をしていただけるよう、お客様のためにも身体の続く限りはこの生活が続くんじゃないかしら(笑)。

(インタビュアー:中西 学)

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