船坂住民数珠つなぎ 橋本悦夫さん

今回は7班の橋本悦夫さんのご登場。橋本さんとは在りし日の船坂小学校で橋本さんがPTA会長、私が副会長で一緒に活動した時期がありますが、当時とほぼ変わらない若々しいお姿に感服です(;゚⊿゚)ノ ス、スゲー!

―橋本さんは船坂生まれですが船坂小学校の思い出は?
橋)今、61歳なので遠い昔の話ですけど…(笑)。僕らの年代は”べったん”や”ビー玉”が流行っていたかな。”かくれんぼ”は学校以外に山王神社などにかくれたりしたので、範囲が広すぎて鬼が全然探しにやって来ず”かくれんぼ”にならない(苦笑)。服を汚して帰ってよく親に叱られました。あと、ぼくらの時代には学校行事で水上運動会があって、地元の人もよく見に来てくれていたのを覚えています。

―”べったん”とは懐かしい(笑)。水上運動会の話は初めて聞きました。船小のあとは山口中学ですよね?
橋)いや、親戚に三田にある妙三寺の住職がいて、その人が三田学園の先生だったこともあって三田学園の中学・高校と進みました。山口中学でないのは僕一人だけで、通学も1時間半ほどかかったので少し寂しかったですね。バスと電車の乗り継ぎが悪いため宝塚で時間をつぶしたり、雪でバスが動かないときは駅まで歩いたりといった”船坂あるある”は僕も経験しています(笑)。

―部活やアルバイトは?
橋)大学(関西学院)時代は試験前になるとよく、学生が書き取った授業ノートが販売されるんですが、自分のノートを原稿としてその業者に売ったりしていました。これがけっこうなお金になったんですが、父を高校時代に亡くしていたこともあって経済的にだいぶ助かりました。

―私もその種のノートにだいぶ助けられました(苦笑)。就職はどちらに?
橋)兵庫県職員になりました。ずっと船坂に住んでましたが、33歳の時に結婚し、垂水区の塩屋にある県職員対象の研修所に転勤になったことを機に、一度だけ研修所のすぐそばの職員宿舎に移りました。その時奥さんは大阪の門真が職場だったので、かなり苦労をかけてしまいました(苦笑)。その後、船坂に戻りましたが、県職員は転勤が多く多様な仕事をしてきましたが、幸い通勤圏内ばかりだったので、それからはずっと船坂暮らしです。定年退職後の今は、再就職して三宮にある民間の会社で働いています。

―仕事以外ではどんな暮らしぶりですか?
橋)ほぼ毎日、朝晩は犬(茶丸)の散歩。我が家に男は僕と茶丸だけなんでとても仲がいいんです(笑)。家庭菜園も楽しいですね。なるべく外に出るようにしていて、体調をコントロールしていきたいと思っています。あと、25年ほど前からつけはじめた日記は今でも続けています。たまに読み返すと「こんなことしてたんや」とか思い出して、これがなかなか面白いんですよ(笑)。

(インタビュアー:中西 学)

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