船坂住民数珠つなぎ 佐藤裕美さん

 今回は8隣保内にお住いの佐藤裕美(ひろみ)さん[旧姓:野口]から話をお聞きしました。当日、1歳の娘さんも連れて来られたんですが、まぁこの娘さんがムチャクチャ愛らしくて可愛いくて! 娘さんが覗きにくるたび顔をデレデレさせていたインタビュアーでした(;^_^。

―佐藤さんは船坂育ちとお聞きしました。
佐)両親が共働きだったんで1~2歳にはもう船坂保育園に通っていました。姉はもう小学生でしたので、歳が近い兄と一緒におばあさんに送り迎えしてもらっていました。船坂保育園のあと山口幼稚園・船坂小学校の流れです。

―小学校時代はどんな環境でしたか?
佐)私の年代の生徒数は入学時15、6人(6年生時は11人)ほどで多いほうだったので、休み時間はクラスのみんなとドッジボールや野球をして遊ぶことができましたね。水泳の授業は一番上のクラスの黒テープをつけたくて一生懸命頑張りました。おかげで黒テープはゲットできました(笑)。あと、船坂にまだ駄菓子屋さんとJAの隣に今でいうコンビニのような店があったので、おこづかいをもらってよく通ってました。

―山口中学校ではどんな様子でしたか?
佐)入学したときは7クラスあって、しかも山口小・北六甲小の子どもたちで個々にグループが出来上がっていたから馴染むのに苦労しました。船坂ではクラス全員まとまっていたからバラバラのグループに驚きましたね。クラブは小学生の時からテニス部に入ろうと決めていたので軟式テニス部に入部しました。バスケットとかは突き指しそうでイヤだったんです(苦笑)。

―高校はどちらに進まれたんですか?
佐)園田学園です。最初はダンス部、2年生からは軽音楽部で活動してました。小学校時代に宝塚でピアノを習っていたのでキーボード担当でした。音楽は小さいころから好きだったんです。でも、勉強も頑張ってましたよ(笑)。私が3年生の時に園田女子大学に栄養学科が出来たんですが、栄養士の仕事がしたくてそこに進学。大学の4年間は、勉強はもとより食材に関する実験やその研究成果レポートの作成で本当に忙しかったです。

―大学卒業後は?
佐)病院・福祉・保育施設等から食事サービス業務を受託する会社に就職して、各地の病院や厚生施設で栄養士の仕事をしていました。その間に管理栄養士と、調理業務が面白くなって調理師の資格もとりましたが、体力的にかなり厳しくなり退職して暫く休むことにしました。自分にとって打ち込める習い事(パソコンやヒップホップダンス等)をした後、新しい仕事につきました。そこで主人と知り合ったんです。

―結婚されてからは?
佐)結婚して初めて船坂を出ました(笑)。といっても山口町なので近くなんですけどね。ただ、妊娠中のつわりがかなりひどかったので船坂で親と同居することになり、今に至っています。母屋と離れで別々の暮らしですがご飯は一緒に食べています。最近、甥っ子になる赤ちゃんが産まれてとても可愛いので、私もまた2人目がほしいなぁ~と思い始めています(笑)。

 
(インタビュアー:中西 学)

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