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船坂住民数珠つなぎ 西口雅彦さん

 今回は船坂里山学校の委員活動もされている1隣保の西口雅彦さんから話をお聞きしました。第一印象は「寡黙で落ち着いた方」でしたが、当日は気を使っていただき積極的にお話いただきました。後は上手くまとめられるかどうかです…(;^_^。

―船坂で暮らして何年になりますか?
西)生まれてから今まで船坂をでたことがないので、自分の年齢と同じ年数の船坂暮らしをしています(笑)。学校も船坂保育園に入って船坂小学校から山口中学校、という流れですね。小さい時は家の農作業の手伝いしつつも船坂川で魚釣りしたりして、ほとんど遊びまわっていました。あと「モノ作り」が好きで戦車・飛行機・自動車のプラモデルをよく作っていましたよ。

―中学校で生徒数が増えてとまどいはなかったですか?
西)船小の6年間、僕らの学年も1クラスだけでしたが、山中も2クラスだけだったので、とまどいはそんなに感じなかったです。自転車通学で軟式テニス部に入ってそれなりに活動していました。

―高校はどちらに?
西)市立西宮高校です。バスで宝塚まででてそこから阪急電車のルート。その頃はまだ宝塚行きバスの本数がありましたねぇ…。20歳の頃、尼崎にあるバイクショップに就職しました。自分もエルシノアのいうオフロードバイクに乗っていたし、小さい頃からの「モノ作り」好きには整備の仕事は楽しかったです

―”好きこそ物の上手なれ”ですね(笑)。
西)ただ、当時は50ccのスクーターが出始めの頃でバイク業界も景気が良かったんですけど、いつしか斜陽産業になってしまい結局は三田の建設資材センターに転職しました。まぁ、そこでもフォークリフトの資格を取って機械をいじっていたんですけどね(苦笑)。数年前にはそこも定年退職して、今は農作業だけですね。じっくり米や野菜の「モノ作り」を存分に楽しんでいます(笑)。

―里山学校にはいつから関わりはじめたんですか?
西)里山学校組織はまだなくて、ジャム作りやランチ提供などの県民交流広場事業のみで動いていた時、学校にガスオーブンレンジがあったんです。当時はスイーツ作りにも凝っていて、ガスオーブンは珍しいのでどうしても使いたくて、直接学校に出向いて話をしたんですよ。そうすると”カフェを考えているから手伝ってくれないか”と誘われ、そのままズブズブと巻き込まれ…というのは冗談(笑)。退職して時間もできたので、自分のできることならたくさんお手伝いしたいですね。「モノ作り」はまだまだ終わりそうにありません(笑)。

(インタビュアー:中西 学)


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