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船坂住民数珠つなぎ 松山直樹さん(善照学園)

その元気よさから船坂でもご存知の人はきっと多いと思われる、善照学園の松山直樹さんから今回、お話をお聞きしました。元気良さがパワーアップした松山先生にインタビュアーは終始タジタジしてましたです(;^_^。

―ご出身はどちらですか?
松)兵庫県加古郡稲美町で生まれで、今年32歳になります。ほんの少しの下宿した期間を除いて大学卒業まで稲美町で暮らしてました。中学でHi-STANDARDを好きになり、高校の時にはバンドに入ってライブハウスにでたりしました(笑)。

―パワフルですねぇ(笑)。バンドでは何の担当を?
松)ボーカルです。目立ちたかったし、でも楽器は全然興味なくて弾くこともできなかったから(笑)。ただ、SlipknotやRage Against the Machineといったヘヴィロック+ラップのような音楽をしてたので全然人気なかったです(苦笑)。

-ふええ。さっぱり判りません(汗)。先生になったきっかけは?
松)音楽関係か児童教育関係に進もうと考えて親に相談した結果、やはり音楽関係は現実的でないので、教育の職につこうと決めて聖和大学(当時)に進みました。でも保育所はまだ女性中心で、実習で男性はトイレひとつにしてもかなり苦労することを痛感して(苦笑)、船坂小学校最後の年頃に善照学園で働くことになりました。

―学園での仕事はどうでしたか?
松)恩師から「教科書の知識より実践のやり方を優先させなさい」と言われていたので、現場の方針・体制・実務内容などまずは何でも全て受け入れるようにしました。職員のシフトが子どもの状況を中心に考えてのものなので、常に流動的でとても忙しい毎日でした。当時は名来に住んでましたが、靴を左右はき間違えたのを学園についてぬぐまで全く気づきもしなかったり、宿直中に体調不良になって上司に泣きながら助けを求めたりしたこともありました。

―船坂ふれあいんぴっく等で松山先生をよくお見かけしてましたが、ある時から姿を目にしなくなりました。
松)2年前に、いったん学園を退職したんです。退職の数年前から悩んではいたんですが、日々、子どもと関わっていると、色んな壁にぶちあたるんですね。そんな時、自分自身にもっと自信があればいいのになと感じることが多く、「自分にいったい何が出来るんだろう? もっとチャレンジしないといけないことがあるんじゃないか?」との考えにいたって、海外に行くことを決めたんです。アメリカに行って実際の保育園の様子を見させてもらったりしました。いったん日本に戻り、善照学園でバイトで有馬に勤めた後、再度アメリカに行ったりしましたが、平成29年3月に再び善照学園職員となり、今は「善照夢のかけ橋」の担当で、子どもたちと一緒に過ごしています。

―今も名来にお住まいですか?
松)今は実家の稲美町から通っています。休みの日は父といっしょに喫茶店に行ったりして、オンとオフを分けるようにしています(笑)。

(インタビュアー:中西 学)


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