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Vol.4 白滝姫の涙水

4『白滝姫の涙水』

有馬に向かい、船坂の集落を離れて一㎞程進むと蓬莱峡によく似た景観の場所があります。村人は白水峡と呼び、白水川と呼ばれる川が流れ、船坂川に合流しています。
それは遠い昔、奈良時代、摂津国丹生山田の住人、矢田部郡司の山田左衛門尉真勝という若者が都に出仕し淳仁天皇(在位 七五八ー七六四)に仕えておりました。
ある時、右大臣藤原豊成の次女白滝姫を見染めました。都随一の美人と評判の中将姫の妹で、薄衣をまとった肌はぬけるように白く、もの思いに沈んだひとみは、底深い湖水の色をたたえていました。すっかり心を奪われた真勝は恋い文を送り続け、その数が千束にもなりましたが、姫の心をとらえることはできませんでした。
そのころ、御所で「歌合わせ」という遊びがあり、真勝は参加をお願いし、許されました。当日、『水無月の稲葉の露もこがるるに雲井を落ちぬ白滝の糸』と恋歌を贈りました。白滝姫の返歌は『雲だにもかからぬ峰の白滝をさのみな恋ひそ山田をの子よ』(身分の高い私です。諦めなさい)でした。真勝は諦らめられず『水無月の稲葉の末もこがるるに山田に落ちよ白滝の水』と歌をおくりました。天皇は真勝の心を哀れに思われて、自ら仲立ちをされ、右大臣を説いて、身分をこえ、結婚をすることになりました。
真勝は喜んで山田へ連れ帰ることになりました。姫は都を後に、真勝に手を引かれ支えられ、時には、真勝に背負われて、船坂を越え、やっとここまで来た姫でしたが疲れ果て、ついにくたくたとその場に崩れおちてしまいました。
「たとえ、勅命とはいえ、父や母に別れてこんな山奥まで来た我が身が悲しい。又あなたの心のやさしさを知って、よけいに心が苦しいのです」とその場に泣き伏してさめざめと涙を流すのでした。すると不思議にも土に落ちた姫の涙が泉となり、川となって流れ出しました。村人はその川を白滝姫の名をとって白水川と呼びました。その後、ここを旅する人や馬はこの川の流れでのどを潤し喜ばれたということです。
しばらくして、気を取り直された白滝姫は、山田への旅を続けられることになりました。道端の泉で涙のあとを洗われ、お化粧を直されました。その時の泉の石を「もたれ石」といい、又「目洗いの井戸」と呼ばれ、唐櫃(神戸市北区有野町)にあるそうです。
都の華やかな貴族の生活から、急にひなびた山里へ移ってきた姫は寂しく心浮かぬ日々を過ごされました。姫は結婚後三年にして男の子を一人を残し、栗の花が落ちる頃に亡くなりました。
真勝は邸内に弁財天の社を建て祀りました。それから毎年五月栗の花の落ちる頃、社の前の泉に清水が湧き出て水面に栗の花が散り落ちるのでした。どんな日照りの年でも水の湧かないことはありませんでした。それにより「栗花落(つゆ)」の氏を賜り、白滝姫の長子は栗花落(つゆ)左衛門左真利と呼ばれ、栗花落家はその後、摂津山田庄の名族として栄え、この社は現在も現神戸市北区山田町原野にあり、栗花落家の当主が祭礼を行っておられます。
[摂津名所図会]には「白滝弁財天、山田村の里長栗花落氏が家園にあり。此家の祖先白滝姫を祭るとぞ。社前に井あり。長さ四尺、幅三尺、深さ一尺、底白砂、常に水なし。例年五月入梅の節、栗の花落つるを期とし、此池より清泉湧き出づる。」と記されています。
しかし、二人は、山陽道を下り、烏原古道を平野から石井川に沿って鈴蘭台を経由し長坂山の東を越えて山田の里に入ったというのです。兵庫区都由(つゆ)乃町に、白滝姫を祭る、“栗花落の森” があり、小さな祠があります。白滝姫を連れて山田の里へ帰る途中、石井村の北にあるこの森で休みました。その頃日照りが続き水不足で、旱魅に苦しむ人々を救おうと白滝姫が杖で地面をつつくと、そこから清らかな水が湧きでて、村人を喜ばせた泉の跡と伝へられています。このようないい伝えから大正六年に現在の町名になったといいます。しかし、真勝は船坂越えを選んだのではないでしょうか。
新婚の旅を有馬の湯に求め、白滝姫を有馬の湯で慰めようとした筈です。

白滝姫の話しは外にもありますので、二つほど簡単に紹介しておきましょう。
まずは、群馬県桐生市に伝わる話しです。
上野(こうづけ)国山田郡の山田奴が都に出仕し、評判の美女白滝姫と歌の問答をして相愛の仲となり、山田奴は姫を故郷に連れ帰ります。姫は養蚕をし、機を織ることをよくしたので絹織物の技術を里の人に教えました。それがもとで桐生地方に機業が盛んになったと伝えます。白滝姫が桐生の山々を見て「京で見ていた山に似た山だ」と言ったことから「仁田山紬」とよばれ、特産品として流通しました。
別に富山県の話しです。越中国婦負郡山田村出身の若者が都の公家の家に奉公に出て、
屋敷の庭を掃いたり薪を割ったりして仕えていました。家には白滝姫という美しい姫がいました。ある日、風呂に白滝姫が入ろうとして熱いとわかり、男は桶で水を運びました。その際、水がこぼれて姫の袖を濡らしました。そこで姫が歌を詠みました。
『雨さへもかかりかねたる白滝に心かけたるやまだ男の子よ』 すかさず山田男は『照り照りて苗の下葉にかかるとき山田に落ちよ自滝の水』山育ちの男が意外にも見事な歌を返したので感心しました。この歌が縁で二人は恋いしあうことになり、身分が違うのに結婚が許され、故郷の山田村に帰り、終生仲睦まじく暮らしたと伝えます。      (挿絵:平井ちゑ子)


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