船坂住民数珠つなぎ 小櫻幸一さん

船坂の人

忘れたころにやってくる、お久しぶりの数珠つなぎです。今回は隣保長を務めながら善照寺の筆頭総代としても日々奮闘されている7隣保の小櫻幸一さんのご登場。どんな苦労話が飛び出すのか、今からハラハラドキドキです(^-^;。

―小櫻さんは船坂ご出身ですよね?
小)そうです。生まれた時は盤滝に続く道沿いの6隣保内に家がありましたが、道路拡幅で7隣保内に移転しました。

―小さい頃はどんなお子さんでしたか?
小)とにかく集中力のない子どもでした。全部の通信簿にそう書かれていたので間違いありません(苦笑)。朝から晩までねずみがわらで石投げや堤防までの競争で遊んだり。山口中学ではサッカー部に入ったのでとにかく走り回ってばかりいましたね。中学校入学時は1クラスだけで30人程度。船坂から学園の子含め10人ほど通っていたので、船坂あるあるの「中学校で委縮」なんてことはなかったです。あと、高原ゴルフ場のレストランでバイトもしていました。

―高校はどちらに?
小)実は家を出て生活したくて就職を考えていたんです。でも親から高校は行っといたほうがいいと言われ、でも家を出たい思いもずっとあって…。結果、寮のある岡山の高校に進学しました。サッカー、バイト、生徒会と高校生活を満喫していましたが、卒業後はやはり家の近くで仕事しようと思い、兵庫県下の共進乳業に就職。その後は地質調査や型枠大工といった職業を経て、27歳の時に船坂に戻りました。

―地域活動への関わりはどのような感じでしたか?
小)船坂に戻ってきてすぐ消防団に入りましたが、正直、消防以外は特に関わってこなかったです。8班の善照寺の寺総代に就いたのが2021年からで、隣保長は2025年に初めてなりました。自治会の隣保と寺総代の班は実は微妙に違っていて、檀家の減少で自治会の6・7・8隣保を寺の6班と8班の2つとしているので、寺総代の班としては1・2・4・5・6・8班の6つになります。私が寺総代に就いた当初は会計処理が未整備で大変でしたが、今は整理されて一安心です。

―2025年度の途中から筆頭総代に就かれました。
小)それまでの筆頭総代が体調を崩されて職務の継続が難しくなったのでお引き受けしました。「これは大変や」と思いましたが、勉強だと思って自分なりに頑張っています。寺の運営は正直かなり厳しく、本山経常や修繕積立が現状維持だとあと4年で余剰が全くなくなる状況です。本山への経常減や寄付寄進の創出することで少しでも運営維持していきたいと考えていますので、檀家の皆様にはこれからも御理解とご協力賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

(編集長 中西 学)

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