船坂住民数珠つなぎ 西口昌利さん

 お久しぶりの数珠つなぎです(;^^。今回は2隣保の西口昌利さんから話をお聞きしました。というか今は「”かやぶき古民家カフェ つむつむ”のマスター」とご紹介したほうが、通りがいいかもしれませんね(^_^)。

-西口さんはずっと船坂で暮らしているんですか?
西)結婚前の約半年間だけ他所で暮らしましたが、それを除く63年と半年間はずっと船坂暮らしです(笑)。船坂保育所・船坂幼稚園・船坂小学校・山口中学校と進み、高校は大阪北部に通学してましたが、卒業後の就職先が西宮市消防局で勤務地が西宮市内になるので家を出る必要がなかったんですよね。

-小学校の想い出は何かありますか?
西)私たちの年代は当時児童数が最も少なくて、同級生は8人だけでした。西の校舎が建設された時、私たちは5年生でしたが、工事中の間は教室が足りなくなったんです。結果、人数が最も少ない5年生だけ講堂(今のランチルーム)のステージ上に机を並べて、工事期間中そこを教室替わりとして授業を受けていました。すごく寒かったのを覚えています(苦笑)。

-消防署ではどういうお仕事を?
西)若い頃は現場で働き、各消防署を異動してきましたが、なぜか最も近い山口分署だけ勤めてないんです(笑)。最も長く勤めたのは消防本部で、消防車・救急車をつくる業務を受け持っていました。

-消防車をつくる???
西)消防車・救急車にどんな装備が新たに必要なのか、現場の声を聞いて次に発注する車の仕様を考える仕事です。はしご車・化学車など多く車種があるため、それぞれの装備も日々新しくなるので勉強もしないといけないし、現場がその装備が使えるように研修もしないといけない。そういった業務です。また、故障した車両の修繕はもちろん、自分たちで整備した消防車・救急車を陸運局に持ち込んで自分たちで車検を通したり…。だから私、自動車整備士の資格も持ってるんですよ。

-確かに車検で消防車をディーラーに運ぶ姿は見たことないです(笑)。それで退職後にカフェをオープンされましたが、そのきっかけは?
西)カフェは妻の夢であったんですが、実は以前、川沿いの所有地でカフェを考えたことがあるんですよ。でもその時は商業コンサルから「立地が難しい」と言われて断念したんです。それから月日がたって私も退職し、家族もカフェに賛成しているので、古民家をリフォームしてカフェをすることにしました。

-カフェオープンしてからの心境は?
西)当初は私が店の中に入るとは思っていなかったんですが(苦笑)。でも、退職後も「やることがある」というのは、生きがいがあってやっぱりいいですね。勤務時はストレスもありましたが、今は自分の自由にできるのでそれもありません。妻もランチメニューを色々楽しんで考えているみたいだし、この店がこれからも何らかの形で続いていけばいいなぁと思っています。

(インタビュアー:中西 学)

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