今回は、今年度船坂自治会の副会長に就任された2班(旧3班)の宮本文明さんから話をお伺いしました。
―小さい頃はどんなお子さんでしたか?
宮)じっとしてることがない船坂の自然が大好きな子供でした。暑い夏も寒い冬も家の中で遊ぶことなく、学校の裏山やねずみ河原を暗くなるまで走り回って遊んでましたね。一番の思い出は小学4年生の時だったか、近所の子3人だけで六甲山まで登ったんですよ、家に黙って(苦笑)。ケーブルの所まで歩き、有馬まで帰ってきた頃にはもう本当に真っ暗になっていて…。ポケットに10円玉1枚だけ残っていて、それで家に電話したらやっぱり家では必死に探し回ってたんです。暗い中、有馬から十八丁橋まで帰ってきた時、前から両親と近所の母親が歩いて迎えに来ててね。ごっつう叱られると思ったら親は全く叱らず黙って迎えてくれたんですよ。あれはほんま鮮明に覚えてます。
―中学に進んでからは?
宮)走り回って基礎体力ができてたんか、吹奏楽部やったのに陸上部とかから試合になればかりだされて出場してました(笑)。親が寒天製造業をしていて工場が金仙寺のほうで中学に近かったから、そこで冬の間は寝泊まりしてましたね。高校からはラグビー部で寮・下宿住まいで船坂を離れていました。練習は厳しく、練習試合後の一杯の水が本当にうまくて、そのためにラグビーやってたようなもんです。中京大学時代に東海地区選抜選手に選ばれたのと、全日本学生選手権大会に出場したのがいい思い出です。練習は辛かったけど最高の学生生活でした。
―ラグビーに明け暮れた学生時代だったんですね(笑)。
宮)そうやねぇ。卒業して社会人になってからも数年は、ラグビーの試合をテレビで見ると、家の中なのに芝生と汗の匂いがはっきりとしてくるんですよ。練習や試合であんなことがあった、こんなこともした、という頭に浮かぶような記憶より、グラウンドにいた時にずっとかいでいた芝と汗の匂いが真っ先に強くきていたのは、ほんま不思議でしたなぁ…。
―それはすごいですねぇ。船坂にはいつ戻られたんですか?
宮)大学卒業、関西で就職、結婚した後は塩瀬町木の元に住んでたんですが、知人からゴルフ場に転職を勧められてね。それをきっかけに船坂に戻ってきました。ゴルフ場に40年ほどずっと勤めてきて、今は定年退職していてゆっくりしています。
―今は主に何をして過ごされてますか?
宮)ゴルフはたまにするけど、昨年から兄からいろいろ教えてもらって畑をしています。ずっと仕事ばかりで初めての畑仕事なんですけど、すごく楽しい。実は食べ物で野菜は苦手なんやけど、種を蒔いて世話して収穫するまでが本当に楽しいから、野菜が嫌いでも畑仕事は出来るもんなんやね(笑)。
(インタビュアー:中西学)