船坂住民数珠つなぎ 永田秀方さん

20140517永田秀方さんインタビュー 画像加工DSCF0956

今回は、〝豪放磊落〟という言葉がピッタリの8班永田秀方さんから話をうかがいました。

-永田さんは今、おいくつですか。

永)もうすぐ70歳。月日が経つのはホンマ早いわ。生まれは大阪で育ったのは宝塚。ワシの父親が永田の長男で、次男が家を継いだんやけど、子が出来へんかったんで小学校5年生の時にワシが養子に来たんや。

-永田さんはずっと船坂やと思ってました。

永)そやから船小は2年しか通ってへんし、中学はワシの時からはじめて山口中学やなくて名塩の塩瀬中学校に行ったな。山中やと歩いて行かなあかんけど、身体が弱くて塩瀬中やとバスで行けるからそうしてくれたんかもしれん。でも、帰りはバスの時間が合わんで、結局は歩いて帰ってきてたけどな(笑)。子ども時分は船小と古藪さんところにテレビがあって、よう見せてもらった。プロレスやら皇太子(当時)の結婚式なんかよう覚えてるわ。

-そこからはずっと船坂ですか。

永)いや。19歳ぐらいで家を出て、いろんなところを渡り歩いてたわ。主に関西方面やったけど千葉の成田に行ってたこともあった。当時はワルい事もしてたけど、船坂ではやんちゃはしてなかったよ。品行方正やったで。ワルいことしたんは船坂を出てからやったなぁ(苦笑)。

-そのあたりはあまり聞かないようにします(笑)。結婚はいつ頃?

永)神戸にいた時やから25歳の時やな。でも、今でいう披露宴みたいなのを同級生呼んで船坂でしたんや。坂口文孝、神島昭男、中元勲、札場平司やらがおったかな。同級生の中で一番先に結婚したんがワシやったんやで。そこからまた船坂をでて暮らしてた。スナックとラウンジをやってたこともあったけど、片方の店で酒飲んで自分で支払いして、もう片方の店でも同じことして…。何のことはない、全部自分の金やから全然儲かってへんねん(苦笑)。それで42、3歳の時に船坂に戻ってきて、それからはずっとここやね。その頃は神鉄の大池にあった知り合いのクリーニング店で真面目に勤めてたわ。

―そういえば家にもよう来てくれてましたよね。

永)でも、震災のせいで店の経営が苦しくなってしもたんで、勤めてても悪いしそこを辞めてしもた。それからは船小の警備員をやったり、あんたのお義父さんに声かけてもらって岡本工務店の仕事手伝ったりしながら今にいたってるちゅうこっちゃ。

―1年ほど前ですか、畑で倒れはったと聞いたときはビックリしました。

永)石垣積みを手伝ってたんやけど、心臓がえらく激しなってね。持病で不整脈なんやけど、いつもは大人しくしてたらマシになるのに、その時は1時間横になっても全然おさまれへんかった。野口進さんが病院に連れてってくれたおかげで助かったんやけど、血圧が60しかなくて本当に危なかったらしい。今では好きな酒も抑えてるけど、せっかく命拾いしたんやから、大事にしようと思ってるよ。

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