2班の西﨑瑠美さんが今回ご登場。瑠美さんは57号でお話いただいた西﨑良子さんのお孫さん。朗らかな喋り方は「やっぱりよう似てはるなぁ~」と話を聞きつつ、内心そんなことを実は思っておりました (;^_^。
―まずは簡単に自己紹介をお願いします。
西)船坂生まれ。船坂保育園・山口幼稚園・船小・山中・県西(県立西宮高校)・大阪人間科学大学という履歴で、兄と姉そして私、3人の学歴が実は全く同じなんです。だから学歴だけ見たら誰が誰やら判りません(笑)。
―それはまた珍しい(笑)。小さいころはどんなお子さんでしたか?
西)船小の時は鬼ごっこの範囲に裏山も含めていたので、とても広く、山を駆け回っていました。ですが平熱がとても高く、身体が丈夫ではなかったので、保健室の常連でした(苦笑)。山中入学の時は船坂の狭い世界しか知らなかったので、友達を作るのが大変でした。船坂のみんなは昔から知っていたので、意識して自分から話しかけて「友達になる」ということがなかったんですよね。友達は当たり前にいるものじゃなくて作るものだということ、友達の作り方を中学で知りました。陸上部で長距離をしていましたが、怪我が多く親も心配したため、高校では陸上部短距離のマネージャーになったんですけど、これがまた大変で(苦笑)。
―でも、マネージャーだから走ることはないんですよね?
西)いえ、裏方って実は大変なんですよ~。朝練もでて色々な準備したりタイム測ったり、選手が足りなくて駅伝を走ることもあって(笑)。大会の時はそれこそ選手よりも早く出て遅く帰るので、よく送り迎えしてもらってました。先輩方がリレーで全国大会に出場したのがいい思い出です。
―これまでずっと船坂暮らしですか?
西)就職して、半年間は四国で営業研修があり、また配属が千葉に決まった時も一人暮らしでした。前から一人暮らしをしてみたかったんですけど、いざしてみたら最初は寂しくて仕方なかったです。テレビ見てても一人なのを忘れて「ねぇ、お姉ちゃん」と思わず横を向いて話しかけたり…。特に研修時代は毎日泣いてました(苦笑)。
結局、仕事がきつ過ぎて難聴になるなど体調を崩したこともあって船坂に戻ってきました。今は山口町にある会社で事務をしています。
―西﨑さんは今、船坂のまちづくり部会で活動してますよね?
西)友達から軽い気持ちでと誘われて行ってみたんですが、真面目な会議だったので目が点になりました。その時はお菓子食べながら茶飲み話してると思ってたんですよ(笑)。でも話にでていた「2050年の船坂」を想像した時、私は犬の散歩の時に会った人とは挨拶するようにしてるんですけど、その挨拶すら出来なくなってしまうような船坂はすっごく寂しいなぁと思って…。私に何ができるか、いろいろ迷ったりしてますけど頑張ってみようと思います。
(インタビュアー:中西 学)