今回は9隣保の宮里恵司さんのご登場。お話をお聞きしたのは実は2020年の新年早々。「その頃なら都合つきます」とのことで松の内の時分にご対応いただきました。新年早々ご迷惑をおかけしました(;^_^。
-お仕事は何をされているんですか?
宮)自営業で、自動車の整備・販売・点検等々、自動車に関わることならなんでもやっています。場所は下田の実家近くですね。ずっと船坂暮らしで、そういえば他所に出たことがありません(苦笑)。
-子供時分はどんなことをして遊んでましたか?
宮)私たちの世代はゲームウォッチやテレビゲームが出始めた頃でしたが、それには目もくれず歳の近い弟と近所の子たちとで外にでて遊んでましたね。あと、物をいじくるのが好きだったみたいで、プラモデルはよく作ったし、家にあった自転車を分解してまた組み立てたりしてたんで、今の仕事の素地は既にあったかもしれません(笑)。
-クラブ活動みたいなことはされてましたか?
宮)小学2、3年の頃から6年生まで、船坂地域の剣道部に入ってました。当時は船小の教頭先生が教えていて、西宮市内でもけっこう強いほうだったと思います。山口中学では野球部に入って3年間ずっと野球浸けの毎日でした。そこから兵庫県立工業高校に進学しました。
-自転車分解等の物いじりの道に進んだわけですね。
宮)いや、当時は調理の専門学校に進もうと思ってたんですよ。母親の手伝いをよくしていたからか、料理することが全く苦じゃなかったので。でも親に説得されて「それじゃあ工業高校に行くわ」と。高校では機械科で製図、機械設計、旋盤・溶接・鋳造実習などで、ほぼ男子ばかりの高校生活でした。ただ、アルバイトは飲食関係ばかりだったので、料理の面白さはそちらで補っていたかもしれません(笑)。
-自営業はいつから?
宮)最初は友人の父が経営するタイヤ販売会社が求人していたので、そこに2年ほど務めた後、1班の岡田オートさんで10年ほどお世話になりました。やっぱり乗り物というか自動車全般が好きなんでしょうね。30歳の時に独立して自営業を始めました。
-宮里さんは現在、消防船坂分団で活動されてますよね。
宮)消防は26.7歳の頃に入団しました。父が消防分団を退いたのと入れ替わりみたいな感じでしたね。今は分団の部長をしています。私たちの頃は消防や自治会等といった地域組織に入る・引き継ぐのが当たり前の感覚でした。それは今の時代でも変わらないはずで、「自分が生活している地域の事だから、その地域の人間が担う。そうじゃなければ、いったい誰がするんだろう?」って思うんですけどね。
(インタビュアー:中西 学)