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船坂住民数珠つなぎ 安藤茂さん

20160326船新記事(数珠つなぎ安藤茂さん) 画像加工

今回は9班の安藤茂さんからお話をお聞きしました。今回が初対面で60代半ばとお見受けしたのに75歳と聞いてビックリ。お話もとてもお元気なものでしたᕦ(^o^)ᕤ

-ご出身はどちらですか?
安)宮崎県都城の出身で、小学3年の時に尼崎に越してきました。尼崎工業高校卒業して、焼却や溶解する「炉」の型枠製造の工場に入りました。貧乏で苦労してたんで、はよ一本立ちしようと27歳で独立しました。

-そんな若い時に独立したんですか!
安)営業いっても「若造、ホンマにできるんか?」とイジメられたりしましたわ(苦笑)。ガムシャラに働いてました。29歳で結婚、営業は妻がしてくれるようになって少し楽になったんですが、それでも二人三脚で働いて「やっていけるかな?」と思えるようになったたのは37,8歳頃でしたねぇ。

-船坂に住むきっかけは何だったんですか?
安)実はカナダに住もうと思って、手続きしてた時期があったんです。その時、嫁さんは「どこでも行く。ついていくよ」と言ってくれたんですが、この言葉は一生忘れられません。結局、この「職種では移住は認められない」となって移住できなかったんですが、こっちはすっかりそのつもりやったから「日本やったらどこでも住める」という思いですわ(笑)。で、猟でたびたび行っていた船坂が気に入って、土地を紹介してもらって34、5歳頃に尼崎から引っ越してきました。

-その時分には子どもさんもいてはったんですよね?
安)長男・次男・長女の子ども3人、みんな小学生でしたが、「なんでここに転校するんやろう?」と思ってたでしょうね(苦笑)。ここに来た当初は、子どもたちとよく金仙寺まで走ってました。

-なにか趣味はありますか?
安)猟・クルージング(船)・ゴルフといったところですかねぇ。じっとしてるのが性に合わないんで動くことばっかりなんですよ(笑)。でも、猟は船坂に来た時に止めましたし、船もここ3,4年は運転してなくて免許も更新してませんねぇ。

-金仙寺近くに「アンドウ」という看板がありますが、あそこが仕事場ですか? 今はどんなお暮しですか?
安)そこが今の仕事場で、自宅裏の仕事場を移しました。自分の仕事は長男が継いでくれましたし、次男はもとに住んでいた尼崎の工場で独立してやってますが、何とかせなあかんという思いから、私、今もそれぞれの仕事の手伝いをしてるんです。娘もパートで仕事場に来てくれてるんですよ。せやから子供がみんな他所に住んでいて、孫が7人いるようなこの歳になった今でも、子の3人とほぼ毎日顔をあわせてるんです。でも、これはこれでよう考えてみたら、幸せなことなんでしょうなぁ。

(インタビュアー 中西 学)


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