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船坂住民数珠つなぎ 西口礼子さん

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今回は久々のご婦人、2班の西口礼子さんからお話をおうかがいしました。船坂まちづくり部会で現時点では唯一の女性メンバーで、今後の活躍が期待されますo(^^o)(o^^)oワクワク

―出身はどちらですか?
西)九州の鹿児島で生まれました。というか、両親がどちらも鹿児島県出身で、母が実家に帰って私を生んで、すぐまた住んでる家に戻ってきたんですけど…。こんな場合でもやっぱり出身となると鹿児島ってことになるんやろか(苦笑)?

―私も判りません(笑)。どちらにお住まいだったんですか?
西)父は兵庫県警につとめてて、西宮市樋ノ口町に甲武橋駐在所があって、私は小学4年生までそこで住んでました。そこが駐在所から、派出所(住み込みでは無い)に変るということで今度は名塩の名塩駐在所に移って、そこは父が加西市に転勤するまで住んでました。

―仕事は何をされてたんですか?
西)服飾のオンワードに勤めて総務職の仕事をしてました。会社は大阪市旭区だったので加西市からの通勤は無理、でも大阪での一人暮らしはちょっと怖い(苦笑)。で、友達が住んでた甲子園で一人暮らしして仕事してましたけど、父の友人で山口駐在所の方のお世話で主人とお見合いをして結婚しました。

―そこで船坂地域をはじめて知ったと…。
西)いえいえ。樋ノ口町にいた時から船坂は知ってました。西宮市の小連体(小学校連合体育大会)で船坂小学校は会場の甲子園球場を一番に出発するのですが、その時、他校の生徒が拍手で送りだしてたんです。なぜかその記憶が強く残ってて、船坂の存在は知ってましたね。

―結婚してからはどのような生活ですか?
西)22歳で退職・結婚して船坂にきたとき、家は今もそうですけど茅葺き。主人と両親、祖母、主人の妹が住んでいて、子どもは姉弟を授かりました。両親は田んぼ以外にしめじ栽培をしていて、稲刈りやしめじ梱包などのお手伝いをしてましたね。平成3年に有料道路が出来てすぐにそこの道路公社関係に勤めはじめ、途中、学校給食の調理補助もしたりしながら、今に至る…といったところでしょうか。

―船坂での暮らしをどう感じられてますか?
西)ここに来てすぐの頃、「近くに病院がない」と思いましたね。免許は持ってましたが車がなかったので、いろんな面でこれは車がないとちょっと生活していけないな…と強く感じました。地域の人達とはその当時あった婦人会や子どもの幼稚園や学校行事を通じてじょじょに知り合って仲良くなって…という流れでしたね。あと、料理を飾る「つまもの(葉・枝花)」取りを地域振興産業にして、おじいちゃん、おばあちゃんが、いきいき頑張ってらっしゃるところがありますよね。船坂でも何か?で一生仕事していければいいなぁと思ってます。それでおこづかいが入れば旅行とかも楽しめるし、仕事と遊びで船坂生活が充実していくというのが、今の私の一番の夢ですね(笑)。

(インタビュアー 中西 学)


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