今回は、いつも朗らか9班の宮里清さんのご登場。いつお会いしても笑顔なので、まずは素朴な疑問を尋ねてみました。
-宮里さんが怒る時ってあるんですか。全く想像できないんですけど(笑)
宮)そら、あるよ(笑)。最近では自治会の打合せで怒ったことがあったかな。なんか怒らせたら僕は怖いらしいで(笑)。
-自治会副会長としてお忙しいですか。
宮)三役(会長・副会長・会計)は船坂だけでなく、山口町連合自治会にも関わるからね。山口町全体として防犯・宮っ子(市地域情報誌)・音頭保存会もあるし、小学校区が山口小学校区だから山口SC21にも関係してます。スケジュール帳もほとんど埋まってるよ。仕事しながらの三役はちょっと難しいんちゃうかな。
-宮里さんは下田生まれの下田育ちですよね。
宮)いや、生まれは大阪。親父はうどん屋やってたらしいけど、戦後焼け野原になって、下田に親戚がいたから1歳の時に船坂に来たんよ。最初は4班内で家借りたらしいけど、1年後に下田に家建てて、そこからはずっと下田。中学の頃から焚付け材木運搬やゴルフ場のキャディのバイトしてよう働いてたよ。卒業してからは鉄工所や自動車整備したりしたけど、一番長かったのはやっぱりゴルフ場やね。グラウンドキーパーで、グリーンのカップの位置決めたりしたけど、パットが難しい場所ばかりにした時は、お客さんから「おい、昨日奥さんとケンカしたやろ」とか言われたなぁ(笑)。
-奥さんもキャディされていて、そこで知り合われたとか。その頃の宮里さんはモテて大変だったんじゃないですか。
宮)船坂の「模範的な青年」やったから、ということにしといて(笑)。
-趣味はやっぱりゴルフですか。
宮)若い時はパチンコが好きで好きで、暇があったらバイクに乗って宝塚まで行ってたなぁ。今でもパチンコには行くけど、ゴルフは嫁も嫁の妹も息子夫婦もするし、年に1・2度はみんなでゴルフに行くから、やっぱりゴルフが一番の趣味だと思います(笑)。