今回は、自称〝おしゃべり好き〟の10班の上の大前忠司さんのご登場。どんな質問にもお答えいただいて、とても嬉しかったです(*^_^*)。
-船坂にはいつからお住まいですか。
大)常に住みはじめたのは6年ほど前からです。丹波の氷上で生まれ育って、18歳の時に大阪の知合いに誘われて、料理の見習いをはじめました。
-え? 大前さんは料理人をされてたんですか?
大)そうなんです。今でも家で魚料理の刺身・焼き物・煮炊き物は私がやっています。でも、それ以外は全部妻がやってるので、「僕がご飯を作ってる」なんて偉そうなこと言ったら、妻に叱られてしまいます(笑)。
-大阪ではどのような生活を?
大)大阪での見習い期間が約7年。24歳の時に別の店に勤めていた妻と結婚して、25歳で子どもが生まれました。26歳の時に自立して大阪市の住之江区で「おおまえ」という名で店を開業しました。昼は店を開けずに注文を受けての弁当作りと配達だけにして、夜は居酒屋として店を開けて17時から23時まで営業していました。
-毎日がすごく忙しそうですね。
大)店を始めてからの10年間は本当にあっという間でした。27歳の時に2人目の子が生まれたんですが、夫婦2人で店をしていたので、その子が生まれるまで妻は店で働いてましたから。その時が一番大変でしたね。
-船坂という地域はいつ知ったんですか?
大)昔、煙草屋だった4班の中尾が僕と親戚なんで、船坂のことは以前から知ってました。それに弟が既に船坂に住んでいて、「こっちに来たらどうや」とも言われていたんです。でも、大阪にずっと住んでいましたし店もあったので、店を閉めてからセカンドハウスとして暮らしてもいいかなと思って、昭和50年頃に土地だけは買っておきました。実際に家を建てたのは平成8年頃だったと思います。
-船坂の暮らしはいかがですか?
大)いやもう、快適のひとことですね。だから今は、こちらの生活が主になって、大阪の家が月1回帰るか帰らないかのセカンドハウスになってしまいました(笑)。盆栽が趣味で120鉢ほどの世話をしたり、散歩やコミセンの管理当番で船坂のいろんな人とおしゃべりしたりして毎日を送っています。家から望む船坂小学校を中心とした船坂いったいの景色は素晴らしいし、ご近所さんもいい人たちばかりだし、ここにきて本当に良かったと思います。この生活をずっとずっと続けていきたいですね。