今月は1班の大前常一さんのご登場。
今回は、大前さん自身が書かれた資料と写真をご提供いただきましたので、それらをもとにした原稿を掲載させていただきます。大前さん、資料のご提供ありがとうございました。
○戦後の昭和20年12月、農地改革要望あり。現在、西宮高原ゴルフ場の15H・16H・18Hの3箇所にて牛耕作業を着手。特に稲作と菊花畑、冬は山中にて炭火出荷を主とし生計。
○私の記憶では、今から55年前までは子どもの膝上まで積雪があり、船坂小学校までの通学50分が大変、雪の多い日は皆さんに自宅へ送っていただきありがとうございました。
○電気は住居離れ過ぎのため関電柱がなく、5年生まで灯りは石油ランプのみでした。
○昭和33年頃に鉈、鋸、余儀を用いて森林伐採終了後、淺沼組ゴルフ場使用機械、モータースクレッパー、ブルドーザーその他搬入し更地作業始まる。中学生になる前の春、12歳になっていた私は船坂の若い方々と1日250円のアルバイトに向かう。作業は現在クラブハウス2箇所掘削岩頭穴にダイナマイト挿入、芝張り、目砂蒔き、磨り込み等々。
○昭和36年にオープンし船坂地域の雇用者多く、各個人生活に役立ち、当時の船坂地域全体の底上げになったと思われます。振り返れば今後多くの人々がさくらやまなみバスにて来ていただき、船坂でますます消費してほしいと思う昨今です。