今月は5班の坂口正治さんのご登場。船坂体育振興会(SC21船坂の前身)の会長を長年つとめられ、船坂地区唯一のコンビニ「セブンイレブン」をオープンさせた方であります。
―坂口さんの家は代々船坂にお住まいなんですよね。
坂)そうです。私で四代目になります。生まれて60数年、他所で住居を構えたことが無い船坂人です。職業は西宮市の消防吏員で厳しい規律の中で勤めてきましたが、2年前に退職し今は法律に縛られることもなく、毎日が日曜日みたいなもんです。
―今と昔で船坂が大きく変わったと思うところはありますか。
坂)私の小さい頃は農業が盛んで、田畑には何時も沢山の人の姿が見受けられ、所狭しと立派なパセリやほうれん草等の作物が作られ、出荷を今か今かと待っていたように思います。当時、船坂には出荷場(5班の入り口)があり、生産流通も確保され大変賑わっており、特に作物を持ち寄った人々が競争心の中にも親交、助け合いみたいな和みある雰囲気がありましたが、今は皆さん方がご存知の通りとなっております。
―40代の時に、体育振興会会長就任を依頼されたとか。
坂)当時の自治会長から船坂小学校のPTA会長だった私に依頼があり、若輩者ではありましたが10年間務めさせていただきました。公私共に忙しい年代でしたが、優秀かつ協力的なスタッフに恵まれたおかげで、目的とする地域の皆様が一同に会する場を少しでも多く設けようと計画立案し、その結果なんとか進むべき道筋を作り出せたのではないかと思っています。
―今もSC21船坂ががんばっていますよね。その後、コンビニをオープンさせたわけですが、船坂にコンビニをつくるきっかけは何だったんでしょうか。
坂)以前、JA船坂出張所に「エポック」というお店がありました。JAの臨時集会か何かはっきりしませんが、採算が合わないのでエポックを廃止するという話がありました。船坂で一つしかないお店が無くなると困るな、寂しいなと出席者全員が思っている雰囲気でした。集会後の雑談で「誰かコンビニをやったらええんちゃうの」と言ったら、周りの方がえらく賛同されたのがきっかけです。エポックの廃止後しばらくしてコンビニ誘致の話が舞い込み、あの時の賛同を思い出して事を進める運びとなりました。オープンするには幾つもの課題がありました。特に法律上の網、用途地域の規制緩和、更に多額の資金投資に対する不安もありましたが、何とかオープンすることが出来、真っ暗闇だった船坂の田んぼの一角に明かりを灯せた事が良かったのではないかと思っております。
―今後、坂口さんが船坂でやってみたいことはありますか。
坂)退職後、沖縄の石垣島辺りにも住んで船坂と行ったり来たりするのが夢でしたが、諸般の事情であきらめました。その代りと言っては何ですが、今2つほどやりたいなと思ってることがありますけど、それは秘密です(笑)。