3『杢兵衛酒屋の話』
「有馬への途中、船坂村に茶店あり、「杢兵衛」という、旅人に知られたる居酒屋なり。有馬まで一里、山中過ぎて都の嵐山の景あり、言語にのべがたし」と【摂州名所荒増巡覧】に書かれているようで、旅人はこの茶屋で一服するのが常でした。
この茶屋に毎晩酒を買いにくるおじいさんがありました。山の方から一升とっくりを下げて来るのでした。
ある雨のしょぼしょぼ降る夕方、杢兵衛じいさんがついて行きますと、一升とっくりを下げたおじいさんが途中で狸になりました。杢兵衛じいさんはびっくりして、家に帰るや布団をかぶって寝てしまいました。
そして、おかみさんに「明日、おじいさんが来ても、酒を売るな」といいました。
翌晩、その狸が酒を買いにきますと「狸にはよう売らん」というと、「酒を飲まんかったら生きていけません。なんとか酒を飲ませて下さい。お金は払います。」「木の葉で人を騙そうと思っとるやろ。」とじいさんが言うと「いや、これは本物のお金です」「そしたら、どこから取ってきたんや」「お地蔵さんからもろたんや」「嘘をいうな。取ってきたんやろ」というと「いや、ちがう、ほんまにもろたんや、わしは、酒を飲まんかったら命がなくなる。わしの年はな、百八十歳なんや」と言ったので、じいさんはかわいそうになり「それやったら、売ってやる」というと大変喜びました。
「しかしなあ、これっきり来るなよ。そのかわりにこの酒ただでやる。樽ごとやる。大きな樽をやるからこれから来てくれるな。」「その樽やったら四日程したらなくなるな」とおじいさんは悲しそうな顔をして帰って行きました。
それから四日目の朝、杢兵衛じいさんが表の戸を開けたら、狸が樽を抱えて死んでおりました。杢兵衛じいさんは哀れに思い、その狸を懇ろに葬ったそうです。(挿絵:平井ちゑ子)