2『しぶ柿の話』
船坂には「くぼ柿」という種類の柿が多く、その殆どはしぶ柿でした。
平安時代のこと、弘法大師が船坂をお通りになったとき、きれいな柿がなっていたので、その柿を所望されたところ、こんな乞食坊主にやるような柿はないわいといって村人はあげなかった。その心を嘆かれた大師は「なんとしぶちんの多いところよ、この地の柿は今後、総てしぶ柿になるだろう」と、以後しぶ柿ばかりになったと伝えます。
別説があります。それは、ある時お地蔵さんが柿をほしいと言われた時に、村人は甘柿があるのにしぶ柿を供えたことから、甘柿が出来ずしぶ柿になったというのです。
それが、今ではその同じ木の同じ柿が甘い柿になってきました。地球温暖化のためです。柿はある一定の温度(暖かさ)にならないと甘くならないのです。高温を好み、寒冷地では成育不良の亜熱帯・温帯固有の果樹です。日本では、中部以南に良品を産し、渋ぶ柿の分布が広い。低温でも、高温でも柿は育たないのです。青森以北や、鹿児島以南に、柿は殆ど成育していません。
柿は原産地が中国とも、日本に自生していたともいわれています。元々は小粒な渋柿ばかりでしたが、突然変異で甘柿ができ鎌倉時代以降に全国に広まったそうです。
平安時代に、柿は存在していたようですが甘柿か、渋柿かの認識があったのかどうか疑問です。しかし、「延喜式」(九二七年)に「正月の供物干柿一合」などと記されており、熟柿や干し柿が菓子の一種として宮中で食べられていたようです。 (挿絵:平井ちゑ子)