船坂住民数珠つなぎ 橋本数枝さん

20131026橋本一枝さんインタビュー 画像加工2 

今回は、7班の橋本数枝さんにお話をお伺いしました。船坂女子の昔の暮らしは、大変だけど楽しかったようです…。

-昔の船坂の生活で苦労されたことはありますか?

橋)やっぱり通学が大変でしたね。船坂小学校は近くてよかったですけど、山口中学校はやっぱり遠くて…。当時はバスもなかったし自転車に乗る者もいなかったので、船坂地区の中学生みんなが集団で雨の日も雪の日も歩いて登下校してました。途中でお腹がすいたらイタドリを取ってよく食べてました。イタドリ用に塩を持っていた人もいましたよ。

-準備がいいですね(笑)。

橋)それでも当時は草履だし道も舗装されてないしで、けっこう辛かったんです。だから、まだ幼かったんでしょうね、学校に行く途中でサボることもありました(苦笑)。お弁当を持っていたから、お昼になったら皆でお弁当を広げて食べたりして。今だと家に知らせが入ってすぐバレるんでしょうけど、学校も連絡しなかたのかほとんど知られることはありませんでした。当時はのどかだったんでしょうね。

-なんだか羨ましい気がします(笑)

橋)でも、中学を卒業して夙川の洋裁学校に通うことになって、船坂から2人通いましたけど、国鉄の生瀬駅まで行くバスもありませんから歩くしかなくて、通学が中学校以上に大変になったんですよ(笑)。行きは下りだから速いんですけど、帰りは登りだから行きの倍以上の時間がかかりました。近道はありましたが山道だから履物が汚れるんですよ。だから靴を持って生瀬までは草履で歩いて、生瀬駅の草むらに履いていた草履を隠して靴に履きかえて電車に乗る、なんてこともしてました。

-本当に大変だったんですね。その後はお勤めですか?

橋)卒業後は船坂の農協で勤めてましたけど、結婚で辞めてからは子育てしながら両親と青物作ったり、善照学園で働いたり…。いろんなことがありましたねぇ。今はデイサービスに週一回通ってみんなでゲームしたりカラオケしたりして楽しんでます。

-子供のころの想い出は何かありますか?

橋)中学の通学帰りで休んでるときに、同級生の女の子ばかりで記念写真を撮ってもらったことがあって、その写真が今でも残っています。みんなで肩を組んで仲良く楽しそうで…。それを見ると当時のことを思い出します。私の小さい頃の想い出がつまった大切な写真ですね(笑)。


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