船坂住民数珠つなぎ 森克彦さん

20130922森克彦さんインタビュー 画像1

今回は、1班の森克彦さんのご登場。仕事も引退され悠々自適の暮らしを過ごされてると思いきや………。

-お仕事は大工をされていたとか

森)大工といっても自己流でやってきたんやけどね。大分県に生まれて、父親が地元で就職の面倒みてくれたんですが、決められた道に進むのが嫌で、大阪にでてきたんです。今から思えば親に感謝せなあかんのやけど、若かったんやろね。

-大阪で大工をされてたんですか。

森)いやいや。最初は単に土方をしてましたけど、大工をしてたいとこに仕事に連れて行ってもらって、そこで徐々に大工仕事を覚えるようになったんです。いとこが神戸にいたから、自分も嫁さんと神戸に移ってしばらく住んでたけど、仕事で三田に常時行くようになりました。20年ほど勤めた間に船坂の芦田さんとこからも仕事受けるようになって、船坂を知ったんです。それで、自分の家を持つときに三田か船坂か考えたんやけど、やっぱり自然の多い船坂のほうがええと思って、引っ越してきました。

-船坂にはいつごろ来られたんですか。

森)昭和55年頃かな。奥さんと娘2人で引っ越してきました。当時、娘は大学生と高校生やったんで通学が不便になったけど、私が船坂に住みたいから無理やり連れてきたようなもんです。でもそのおかげで宝塚までけっこう迎えに行かされましたわ(笑)。その娘も今は甲子園と東京でそれぞれ住んでますが、よく面倒みてもうてます。今も盆と正月には帰ってくるし、今年は大分まで連れて帰ってくれて墓参りすることができました。ここにいる愛犬の〝さくら〟も、嫁さんと2人暮らしになったとき、寂しくないようにと娘が買ってくれたんです。嫁さんが亡くなってから、ほとんど何もすることがなくなってしもたけど、この〝さくら〟の面倒をみることができて助かってますわ。

-それじゃ今は悠々自適の生活ですね。

森)いやいや。地域のカラオケやグラウンンドゴルフに行ったり畑をしたりしてますけど、それでもほとんど何もする必要がない今、仕事人間だった私には時間があまって困ってますわ。昔取った杵柄で、簡単な修繕や大工仕事をたまにすることがありますけど、生活は今で十分やっていけるので、そういうことを仕事でお金を取ってやるのでなく、ボランティアで出来ればええんですけどね。身体を悪くして病院に通ってるから無茶は出来へんけど、それでも何かやることが出来て張り合いのある生活をしていけたらええなと思ってます。


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