船坂住民数珠つなぎ 北角久美子さん

 今回は9隣保の北角久美子さんから話をお聞きしました。〝北角さんって誰?〟と思う方も「旧姓:湊久美子さん」と言えば〝あ~知ってる知ってる〝と頷いてもらえるかと思います(^_^)。

―北角さんは何年前に船坂に移られたんですか?
北)母の山﨑ウトが亡くなる前だから、約12,3年前になるでしょうか。生まれは沖縄で中学2年まで過ごしていました。海の近くの小学校で、プールがないので水泳の授業は海でしてました。小さい頃は横にした竹竿につかまって足をバタバタする練習してたんですが、その時に溺れてしまって・・・。活発な子どもだったんですけどそれから泳ぎだけは苦手です(笑)。

―当時、沖縄はまだアメリカ占領時代ですよね。
北)中学3年で大阪に移ってきてからイチョウや紅葉、それに修学旅行で富士山を目にした時、あと大人になってからつくしを初めて見た時は「ああ、日本に来たんだなぁ」と思いました。特につくしは絵本でしか見たことがなく、高さ4,50cmほどと勝手に思い込んでいたので初めて見た時はその小ささに本当にビックリしました(苦笑)。

―そこからずっと関西暮らしですか?
北)いえ。結婚して広島に引っ越しました。2人の子どもが大きくなって手を離れた時分に、名来に住んでいた姉から「仕事を手伝ってほしい」と連絡をもらったんです。その時には母も船坂に住んでいたので思い切って有野に移りましたが、しばらくして縁あって善照学園の調理師の仕事をすることになったんです。その後、船坂に引っ越してきたんですが、その時は9隣保の皆さんにあたたかく迎えてもらって、今でも本当に感謝しています。

―学園だと朝・昼・晩の三食の調理が必要になりますね。
北)そうです。シフト制の勤務でしたけど、遠足や修学旅行などの朝早い学校行事の時なんかは、大人数のお弁当を作らないといけないので本当に大変でしたね。でも、やりがいのある仕事だったので定年までずっと働かせてもらいました。

―定年後はどんな生活をおくられているんですか?
北)本当に自分の好きなように過ごさせてもらってます(笑)。小さいころから北海道に行くのが夢でしたが、定年になって初めて北海道に行くことが出来て、その夢をかなえました。今は毎年6月~10月の間、キャンピングカーで陸路を使ってゆっくり北海道に向かい、木彫りしたりパークゴルフ(専用クラブ1本でバンカー・川越えなども備わったコースをまわる、いわばゴルフのミニチュア版)をしたりして暮らしています。だから自分の夢だった生活が今もずっと続けられているわけで、これまで生きてきた中で今が一番幸せですね(笑)。

(インタビュアー:中西 学)

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