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ちょっと気になる屋号(気になるこの人番外編)

20100314ちょっと気になるこの屋号(この人番外編)01今回は「かぎや」という屋号だった椴木三重子さん宅を訪問しました。椴木さんの家は、バス停「舟坂東口」から南西へちょっと入った所にあり、昔、生瀬から太多田川を遡って来た旅人達がホッと一息入れるのに適した場所でした。

―こんにちは。椴木さんのお家は「かぎや」という屋号をお持ちだったんですね。

椴)そうやねん。私は小さいときから近所の人から「かぎやのみーちゃん」と呼ばれてて、椴木さんと呼ばれることなかったですねぇ。

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―「かぎや」というのはどういう商売だったんですか?

椴)昔、旅籠やったようですねぇ。家の餅箱にかぎやの屋号の焼印が残ってますねん。ほら、鍵の印と「矢」の文字が刻まれてますやろ。昔は旅館の名前が鍵屋というのが多かったそうです。

―今も土蔵は残ってるんですか?

椴)阪神大震災でつぶれてしまいましてん。倉は建て替えたんですけど、昔の土蔵の外側の鍵と錠前は残してあります。

―ほかに旅籠の名残は?

椴)改修してしまいましてんけど、表通りに面して大きな格子戸の玄関があったんです。土間と最初の部屋は20100314ちょっと気になるこの屋号(この人番外編)03そのまま残してます。上り口の履物入れや、土間の柱や梁も昔のままです。土間をはさんだ壁の向こうは馬屋やったそうですねん。馬を引いて来られたお客さんもあったんとちがいますか。番傘を置く棚もありました。それから料理をお部屋へ運ぶ手提げ籠や大鉢、皿、銚子なんかが蔵の中に残ってます。

―どんなお客さんが泊まられたんですか?

椴)やっぱり有馬へ行く途中の人とちゃいますか。絵描きさんが長逗留されたこともあるそうですけど。

―いつ頃旅籠をしておられたんですか?

江戸の中期頃に家が焼けて、大慌てで建て直したとと聞いてます。旅籠してたんで、早いとこ建て直さんといかんかったようですねぇ。休憩所も兼ねてたみたいやけど。

―旅人たとが急な坂道を登ってきて、ここでホッとしたんでしょうね。

椴)生瀬から蓬莱峡へ登る道が最初に右へ急カーブする所がありますやろ。昔は、そこから真っ直ぐ細い道を登って、バス停「東口」から1km程下った所の地蔵さんが祀られてる所へ登ってくる道があったんですよ。小さい頃、蓬莱峡で映画撮影がある時、その道を捕って俳優さんを見に行きました。

―椴木さんの家はまさに船坂の入り口だったんですね。清水も近くで湧いてるし。

椴)清水は、地震の前までこんこんと湧き出てて、3段の水槽の上から順に飲み水、米野菜洗い水、洗濯水として使ってました。汚物は水槽の外で洗いました。風呂水にも使ってて、まわり湯と言って近所の5~6軒で順番に風呂を焚いて、もらい湯したものです。昔は籠屋、鋲屋、小間物屋、湯葉屋、豆腐屋、下駄屋、呉服屋、骨接ぎ屋、畳屋などいろんな店があったそうですよ。

―そうですか。今のように交通の便が良くなかったので、お互いに助け合っていたのでしょうね。今日はお忙しいところをありがとうございました。


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