今回は2024年から新聞ホームページの改修管理に協力いただいている重松音野(しげまつおとや)さんのご登場。関西でよく言う”シュッ”としたお兄ちゃん。インタビュー中もにじみでる好青年さでかなり眩かったです(笑)。
―失礼ですが…お名前の由来をまずお聞きしていいですか(汗)?
重)名字が二つ並んでるみたいとよく言われますけど、やっぱり気になりますよね(苦笑)。名前を付けるとき、「富士山の裾野に広がる五線譜」のイメージが浮かんだから、と聞きました。ちなみに祖父がチェロ奏者、母はピアノの先生をしていました。
―ご出身はどちらですか?
重)神奈川県藤沢市生まれ川崎市育ち。(生まれた時は)Jリーグ発足後間もない頃で、小さいころからサッカーに打ち込んでいました。高校はサッカー強豪校に進むことも考えましたが、父から「選択肢があった方がいい」という助言もあって、文武両道の県立川和高校に進学。結局サッカーは20歳頃まで続けていました。ポジションはゴールキーパーです。
―高校卒業後は?
重)消防官になりました。ここで得た経験はとても大きかったんですが、指導してくれた先輩方にとっては逆の意味で大変な経験をさせてしまいました。今思えば自分が未熟だったんですが、「この職場では『なんで』とか『どうして』とか聞くな」つまり「背中を見て覚えろ(自分で調べて実践しろ)」の意味すら理解できず、最初から最後までなじめずに大変なご迷惑をお掛けして退職しました。
―今の重松さんからは想像もつかないですね(笑)。その後はどうされたんですか?
重)知り合いを通じて、沖縄の恩納村で2年ほど飲食店のアルバイトを掛け持ちしていたんですが、時間を見つけては映画や読書をする中で、ある作品との出会いから自分の先祖の調査をすることに決めました。それまでの挫折から、自分に足りないのは覚悟とか引くに引けない背景事情だと感じていたこともあります。調べがつき実家に戻った時には「まず社会に慣れる」ため、不動産業者に就職したところ広告運用とWeb制作担当に抜擢され、独学で学んで今に至ります。
―関西に来られたのなぜ?
重)妻の実家が兵庫なのでこちらに移ってきました。2人目の子どもが生まれるタイミングで家のことに専念するため働き方を変え、現在は建築写真やWeb制作、Webコンサルティングの自営です。今はまず家のことが第一で、仕事については自分のしたいことをしてるというよりは身近な人のために動いています。本当に自分がしたいことはその中から見つかるものだと考えていることもあって船坂新聞のホームページ改修も私のできる範囲でご協力しています。船坂の皆様、今後とも宜しくお願い致します。
(インタビュアー:中西 学)

