今回は黒いニット帽にちゃんちゃんこがよくお似合いの10班、河中登さんから話をお聞きしました。初対面でしたがよく通る声でたくさんお話いただきました。本当にありがたい限りです<(_ _)>。
―河中さんは船坂生まれですか?
河)いえいえ。生まれは神奈川で、すぐに西宮市に移ってきました。小さいころはとにかく落ち着きがなくて、トランプとかの室内ゲームは全然興味なく、いつもどこかケガしている子どもで。「どんなケガしよるかわからん」と親が心配してクラブも入らせてもらえませんでした(苦笑)。
―それはまたすごいレベルですね(笑)。
河)何か始めてもすぐ違うものに手を出す長続きしない性分でしたが、中学の時に窓から釣りが出来そうな川近くに住む友達に釣りに誘われ、初めて大きなフナを釣ったのが人生の転機でした。私の人生の根底に「釣り」があると言っても過言じゃないですね(笑)。
それから今にいたるまで釣り、特にヘラブナ釣りが続いています。
―そのおかげで落ち着くようになったんですか?
河)私の釣りは、全然のんびりしてないんです(苦笑)。今のアタリはなんであんな感覚だったのか? だったら次はどう仕掛ければいいのか、考えに考えて次の手を決めるいわば「攻め」で、「守り」の落ち着いた釣りじゃないですね(笑)。
―船坂を知ったのはいつ頃ですか。
河)父が野鳥の会に入ってたぐらいなので自然が好きだったんでしょうね。25歳の時に親と引っ越してきて初めて船坂に来たと思っていたんですが、「あれ? ここって中学の時にホタルを見に来て川遊びしたところだ」としばらくして思い出しました(苦笑)。あと、真っ先に「何て水が美味しいんだ」と感動したことを覚えています。今はそこまで美味しくなくなってるようなんですが…。不思議です。
―お仕事は何をされているんですか?
河)ドラッグストア勤務だったんですが、28歳で結婚し、私たち夫婦は大阪の豊中に引っ越して51歳でまた船坂に戻りました。今もその関係の仕事はしていますが、重きをおいているのは造形作家としての活動です。釣りが好きで”浮き”も自作するようになって造形に興味を持ちはじめました。5年前、何気なく手先の動くまま書いた絵がなぜかとても面白く感じられたんですよ。そこから自分が表現したいものを分野や素材に拘らず作っています。娘が芸術系の仕事をしてますが、その分野の血が私にも流れてるようです(笑)。
―昨年に2班の古民家で個展を開かれていましたよね。
河)作品の素材探しで船坂の「古材問屋」のオーナーと知り合い、その縁でオーナーが管理されてる古民家で個展を開きました。自分の作品は3種類ほどありますが、総称として「我空」と名付けて活動しています。船坂は芸術に携わっている方が多いので、その方面で何か活動が生まれてくればいいですね。
(インタビュアー:中西 学)