今回は、いつまでもお若い(お肌ツヤツヤ!)2班の西﨑良子さんにご登場いただきました。
-船坂に嫁いでこられたのはいつ頃ですか。
西)昭和33年の春でした。私は名塩の塩瀬町東久保の生まれなんです。有馬高校をでてから、須磨にあった当時の県知事のお宅で住込みで働くことになりましたが、そこの奥さんにはずいぶん可愛がってもらいました。他の人と合わなくて仕事を辞めて家に戻ることにした時、奥さんもついてきてくれたんですが、他の人を辞めさせるからといってそのままいっしょにまた須磨に連れ戻してくれました(笑)。数年してその仕事が終わって家に戻ったあと、ある人の紹介で船坂に嫁ぐことになったんです。
―船坂のことはそれまでご存知だったんですか。
西)寒天とかは知ってましたけど、船坂に嫁ぐなんて夢にも思ってなかったから、実は歩いて下見に出かけたんです(笑)。そこで話しかけたご近所さんがご親切にいろいろ教えてくれましたが、嫌なところは全くおっしゃらず、とても印象が良かったので、それで決心しました。「あんたの旦那になる人は男前やで」なんてことまで教えてくれましたよ(笑)。
―やっぱり下見して良かったんですね(笑)。
西)それで嫁いできましたが、おじいさんの玉太郎が本当に賢い人で、何でも教えてくれました。田畑のことはもちろん、家には松の木が4本あるんですが、その松の葉もりや剪定のことまで何でも教えてくれました。だから今でも私が松の剪定をしてますよ。松も育ってるので今は脚立にのってやってます。
―それはすごい(笑)。船坂小学校の想いでとかはありますか。
西)子ども世帯が少ないこともあって、PTA副会長を6年間ずっとしていましたから、小学校にずっと行ってました。この講堂(現ランチルーム)も本当に懐かしいです。
―今はどのようにお過ごしですか。
西)朝夕、毎日1万2千歩ほど歩いてます。あと、田畑と果樹園の世話を毎日しています。お世話は本当に楽しいですね。果樹園はさくらんぼ・ゆすら梅・柿・キウイがあって、ゆすら梅はジャムにして毎日食べてますし、そのほかは墓参りに来る人におすそ分けしてます。喜んでくれはる時の笑顔が好きなんです。一日の仕事が終わったら心配してくれてお嫁さんが毎日迎えに来てくれるし、私は今本当に幸せです。