船坂住民数珠つなぎ 梅原敏子さん

H25年07月号(第58号)数珠つなぎ梅原敏子さん 画像1

今回は、舟坂橋バス停そばにある「ほんまもん」をやっておられる梅原敏子さんにご登場いただきました。

―早速ですが「ほんまもん」というのは、どなたが付けられたんですか。

梅)むかし、NHKの朝ドラで「ほんまもん」という番組をやってて、それを観ていた主人が、うちは農薬使ってないからほんまもんやと言って付けました(笑)。

―どちらから嫁いで来られたんですか。

梅)わたしは、綾部で生まれ福知山で育ちました。若い頃は、福知山で事務の仕事をしてたんですが、あるとき、兄に船坂へ行かないかと誘われて宝塚駅まで行きました。そこへオート三輪を運転して主人が迎えに来てくれたんです。あとで、それが見合いだったと教えられました。ドコドコドコドコと山道を上がって行くので、どこへ行くのやろうと思いました。それから暫くして、主人の父が骨折して入院したので付添いの世話を頼まれ、病院でお世話しているうちに、主人との縁ができ結婚しました。

―敏子さんは、とてもいい声をされていますが・・・。

梅)わたし、中学校のときに音楽部に入って発声練習なんかをさせてもらったんです。そして、福知山での仕事は寮生活してて、近くにある教会へ信者だった友人について行って賛美歌を歌いに行ってたんです。信心しなかったけど歌が好きだったので。そして、船坂に来てからは、公会堂で詩吟を習ったり、歌謡教室に入ったりしてました。詩吟は、丹波弁を直すよう指導されるので途中で辞めましたけど、歌謡教室は楽しかったですよ。毎年、発表会に出させてもらいました。

―広い田畑のお世話は大変でしょう?

梅)年とったら大変です。草がいっぱい生えるし・・・。それでも若いときから、ほうれんそう、小かぶ、パセリなどを植えてきました。40代後半に初めて同窓会に行ったとき、私一人が農家の嫁でしたけど、実家も農業やってたので苦になりませんでした。

―嫁いでこられた時から農家だったんですか。

梅)いえいえ、当時は”もくめん”(果実等箱詰め用のクッション材)の工場をやってました。主人と主人の弟が一緒にやってましたが、船坂は交通の便が悪いので、主人の弟が生瀬に新工場を建てました。それからは、主人と一緒にパセリを作って出荷したりして今に至っています。

―最近は、ランチルームのうたごえ喫茶で楽しんでおられますね。

梅)息子に大声出すなと言われるけど、2ヶ月に1回のうたごえ喫茶なので楽しみで、つい大きな声で歌ってしまいます。でも、カラオケと違ってうたごえ喫茶で歌うと胸が膨らむ感じがして気持ちいいんです。

―畑に出たり、大声で歌ったりするのはお元気な証拠ですね。これからもお元気で頑張ってください。

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