新年最初の数珠つなぎですが、4班の中尾洋子さんからお話をおうかがいしました。インタビュアーのお向かいが実は中尾さんのお宅。すっごく近しい距離なのに話の内容は初めて聞くことばかり。いかに自分がご近所付き合いしていないかを痛感しました…@(;・ェ・)@/ ハンセイ
―ご出身はどちらですか。
中)生まれは淡路島ですけど、ごく幼い時に三田市の広野に引っ越しました。当時の広野は満州からの引きあげ者さんたちによる開拓でひらけはじめていんですが、私たち家族も農業をしていて毎日が本当に大変でした。長男以外は全て女性の6人兄妹ですが、田植え稲刈りその他もろもろ、毎日全員が何かの手伝いをしていて忙しかったです。父が小学校5年生の時に他界し、妹が5歳違いでいましたので、遊んだ記憶がほとんどないんですよ(笑)。
19歳頃に就職して大阪市内の会社の寮で暮らし始めました。何より嬉しかったのは、自分の時間を初めて持てたこと。これは本当に嬉しかった。といっても遊びほうけたりしていませんよ(苦笑)。たまにダンスホールに行って社交ダンスを踊ったりするぐらいで…。楽しい思い出ですね。
-船坂のことはいつ知ったんですか?
中)広野に戻ってしばらくしてからお見合いの話をいただき、その時に船坂をはじめて知りました。船坂に嫁いできた時、夫の両親が既にいなかったので、お葬式の炊き出しの時は私が行くんですが、大先輩たちの中で何の要領も判ってなかったのでちょっと辛かったです。でも、その時に煮出しや焚き物等の料理をいろいろ教えてもらいましたね。それが後になって、しっかり役にたちました。
-中尾さんといえば、”桂山荘(今の「蓬莱の里」)の女将さん”のイメージが強く残ってます。
中)ずっと勤めてましたもんね(笑)。子どもが幼稚園に入ったころ、ずっと専業主婦だったので働こうと思い、歩いて行けて働く時間に融通がきくところということで、桂山荘にしたんです。最初は布団の上げ下ろしと掃除のパート勤務でしたが、当時の女性オーナーがなぜか私を気に入ってくれて仲居をするようになりました。そしてある時、「時間帯は都合してくれていいから女将をしませんか」と言ってくれたんです。悩みましたけどお受けしました。これまでの仕事と責任が全然違うので仕事は大変でしたけど、お客さんがおもてなしを喜んでくれて後日お手紙をいただいた時なんかは、本当に嬉しかったです。
-今はもうお仕事されてないんですよね?
中)平成28年の7月に退職しました。酔って帰った時なんか娘が心配してくれてましたから、娘はホッとしてると思います(笑)。仕事している間は地元と全く関わることが出来なかったので、これからは地元行事にも出来るだけ参加して皆さんとお付き合いさせてもらえたらなぁと思っています。
(インタビュアー:中西 学)