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Vol.6 御前墓の話

6『御前墓の話』

船坂墓地(船坂川の西岸付近)の入り口に「御前墓諸霊」の墓碑が建っています。
故小桜和子氏の建立(昭和六十二年)で二十六人の賛同者名が彫られています。ある夜、小桜氏の枕元に「霊を是非祀ってほしい」と現れ、賛同者を募って建立されたと聞いております。どのようなお告げであったのか、小桜氏がすでに故人となられておりますので分かりません。
もともと、御前墓と伝えられている場所は、清水谷道の船坂集落を出てすぐ西側の山林の中にあってこんもり盛り上がった山地です。
盛り上がった東側の前に小さな池があります。
船阪村地誌(明治十七年刊〉には〔御前墓池、村ノ南方字大ふくらニアリ、東西九間、南北十七間壱尺、周回四拾壱間壱尺、積面四畝壱歩、字平井ノ用水トス、田弐反歩ニ灌漑ス〕と記されています。

昔、「御前様」と呼ばれる身分の高い都の女人が、病を得て有馬の湯に療養に赴く途中、この地で帰らぬ人となり、その御前様の供養墓が御前墓として伝わったのではないか。

別説があります。源平の戦いに破れた平家の武士が逃れきて、隠れていたのが、源氏の追っ手に見付かり殺され、池は血の海になったといわれています。村人は哀れみ、屍体を葬り、墓を建て、亡くなった人々を供養した。
又、平家の落人で御前様と呼ばれる身分の高い女人が亡くなり、その御前様の墓があって、それが御前墓として伝わったというのです。

今も、4つの池は満々と水を貯えており、周囲は雑木林になっています。一番東側の池の畔に墓があったようですが、今では墓らしい跡は見当たりません。
そして、前述の小桜氏の夢告・墓の建立となるのです。        (挿絵:橋本舞香)


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