船坂住民数珠つなぎ 亥角小志津さん

20141019亥角小志津さん

今回は卒寿を越えられてもまだまだお元気、10班の亥角小志津(いすみ こしず)さんからお話しをお聞きしました。

―小志津さんはどちらのご出身ですか?

小)天橋立で有名な京都宮津の出身です。実家は農家で、親は本当によく働いてました。兄弟が5人いて、誰も畑仕事を手伝わなかったのに、全員を学校まで行かせてくれたんです。卒業後は地元の税務署で3年間ほど働いていましたが、そのころ宮津に主人の姉が住んでいて、姉のところに来ていた主人を紹介されて結婚にいたりました。

―船坂にはいつ来られたんですか?

小)私達が結婚をしたあと、主人の仕事で宮津から広島の福山・三原と引っ越しました。子どもも中学生になってましたが、少しでも宮津の近くに住みたかったんで、舟坂東口にもう一人の姉が住んでたこともあって、船坂に住むことに決めて土地を買ったんです。主人は土木業で家の建設なんてしたことなかったのに、がんばって建設工事を手伝ってましたよ(笑)。それで昭和41年に船坂に引っ越してきました。

―つい最近まで畑をされていたとか?

小)手伝いしてなかったのにやっぱり農家の娘ですね。畑がしたくなったんです。縁あって住みはじめてすぐに畑をお借りすることが出来て、去年までやってましたから50年近く続けてたことになりますかね。自分の家で食べる分だけですけど、じゃがいもや大根などをつくってました。家から畑までは距離があるうえに本当に急な坂道なんですけど、そこをずっと一輪車押して行ってました。歳がいってからはお嫁さんが運んでくれて、本当に助かりました。

―ずっと畑されてたから、そこまでお元気なんでしょうか? 普段の生活はどのように過ごされてますか?

小)どうなんでしょう(笑)。夜10時には寝ますが、毎日4~5時には目が覚めますから、朝は結構早起きかもしれません。毎日の食事もいつも決まった時間にとることができてます。テレビはお笑い番組はたまに見ますね。あと、私はこたつが苦手で、今まで家に置いたことがないんです。冬もストーブか電気カーペットでずっと過ごしてます。老人クラブも行ける時は参加してますし。息子やお嫁さんが何でもしてくれるので、とてもありがたいです。

―船坂の生活で何か印象に残ってることはありますか。

小)……何もありませんねぇ(苦笑)。でも、印象のない普通の日をずっと無事に過ごしてこれたということが、良いことなんかもしれません。

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