船坂住民数珠つなぎ 亥角英つ子さん

 今回は10隣保の亥角英つ子(いすみえつこ)さんのご登場。話をお聞きしたのが10月初めで天気も良かったので、里山学校前のデッキで気持ち良い風に吹かれながらのインタビューとなりました。たまに飛びかう羽虫が余計でしたけれど…(;^_^

中)お名前の「英つ子」さんの字面はかなり個性的ですよね。
亥)そうですね。旧姓は植田というんですが、父親が知り合いの宮司さんに名付け相談をすると、宮司さんは「第一候補が起代(きよ)、次が英つ子」と言われたそうです。でも父親は「起代は”植田家の起こりを受け継ぐ”と読めるが、そんな負担をこの子に負わせたくない」との思いから第二候補の「英つ子」にしたそうです。そんな風に思ってくれた父親で本当に感謝しています。ただ、初めての人はこの字を見て普通の読み方じゃないと思われるようで、「ひでっこ」とか言われたことがあります。素直に読んでください(笑)。

中)小さい頃はどんなお子さんでしたか?
亥)生まれ育ちは神戸の住宅街で、やせっぽちなんですけどものすっごいお転婆な子どもでした。鉄棒で大車輪したり、防波堤の上から砂浜にどれだけ遠く飛べるかなんて遊びでは男の子に負けたことがなかったくらい(笑)。走るのが好きだったので陸上部に入りたかったんですが中学校にはなくて、高校生になって陸上部に入部。3年間はクラブ漬けの毎日でしたね。

中)絵にかいたようなお転婆娘の姿が目に浮かびます(笑)。高校卒業後は?
亥)当時の神戸銀行に就職したんですが、その面接のとき、実は大失敗をやらかしてしまって…。私、面接者の偉い方々に「お札を触りたくない」と言ってしまったんです。事務仕事しか出来ないと思ったのでそう言ったんですけど、お金を扱うのがメインの銀行の面接でわざわざそんな発言する人いないですよ。終わった瞬間に「もうダメダ…」と落ち込みました(苦笑)。なのに合格して総務計算・為替という本当にお札を扱わない部署で働くことになりました。

中)船坂にはいつからお住まいに?
亥)船坂に住んでいた主人と結婚しまして、新婚旅行から帰ってきたその日に直行で船坂に来て、主人の両親と弟が同居の船坂生活が始まりました(笑)。主人と知り合うまでは船坂の事を知らなかったんですけど、子どもの時は田舎に帰る人がうらやましい、田舎が欲しいと思っていたので、船坂に来て本当に良かったです。

中)そろばんの先生をされていたとか?
亥)最初は近所の子どもさん2人に教えるだけだったのに、その子たちが別の子たちをたくさん誘ってきたので、そろばん教室になってしまいました(笑)。15,6年ほど教えて、最大で生徒さんは26人ほどでした。その子たちも今は大人になりましたが、今も楽しくお付き合いできているのが本当に嬉しいですね。

(インタビュアー:中西 学)

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