てくてく

歴史

5 船坂小学校の変遷

明治6年2月1日(注:船坂小学校沿革誌に記載されている開校年月日) 善照寺本堂を校舎として開校 ※「兵庫県史」及び「西宮市史」によると、船本(船坂)小学校は明治5年12月5日に設立認可されたと記述されている。明治11年6月1回目の校舎移転現...
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4 船坂の人口

(1) 明治~昭和時代の船坂の人口 明治17年: 86戸389人。明治30年: 88戸461人。明治40年: 83戸434人。 大正 5年: 88戸534人。大正15年: 93戸573人。昭和 5年: 92戸594人。昭和15年: 88戸6...
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3 船坂の集落所属

(1) 江戸幕府の直轄領「元和6年(1620年)12月8日、有馬郡領主有馬玄蕃豊氏は九州久留米に封印され、船坂村は幕 府の直轄領となり、治維新まで続いた。」(山口村誌)(2) 江戸時代の検地 「延宝7年(1679年)8月7日有馬郡船坂村検地...
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2 船坂の交通

船坂の県道は、現在、東西方向に県道51号線(有馬~宝塚)が通り、南北方向に県道82号線(西宮~山口町)が通っている。そして、人々は昔から、東西方向に有馬~宝塚を有馬街道を歩き、南北方向に西宮~三田を船坂間道を歩いて往来しており、それらが近代...
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1 船坂の地名

「鎌倉初期(1192年)、有馬温泉を復興した仁西上人が、温泉の湯舟の板をこの地で求めたことから、 舟坂(船坂)という地名が始まったといわれているが、これはあくまで伝説であって、船坂という地名 が文献に出てくるのはそれより以降の室町時代である...
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Vol.12 船坂地域の井戸

12『船坂地域の井戸』船坂地域の地下水は温泉や鉱泉の影響で鉱分を多く含んでいるので井戸水には不適当とされていました。特に、山王神社を境として、東南側の地区では鉱分の含有量が多く、殆ど井戸はありません。その場合は山水が利用されました。山水とは...
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Vol.11 船坂川(七合川)

11『船坂川(七合川)』西宮市の最北端に連なる六甲山最高峰の東に雨乞いが行われていたといい伝えられている場所に、通称「石の宝殿」があります。その北側の斜面を水源として船坂川は、地獄谷に落ち、屏風の滝・川上の滝を流れ落ちて、自然信仰の大石の前...
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Vol.10 清水谷古道夜話

10『清水谷古道夜話』今は亡き古老から聞いた話です。古老がまだ子供であった頃、夜になると、おじいさんが煙管の雁首でいろりばたを叩きながら、色々な昔の話をしてくれたそうです。『西宮へ越える船坂峠の八合目位に清水の涌く水飲み場があってな。船坂側...
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Vol.9 琴鳴山

9『琴鳴山』生瀬を過ぎ、国道176号線を湯山街道から船坂方面へ左折してすぐ太田多川の右側の山を琴鳴山と呼んでいます。平安時代の昔、左大臣万里小路盛通の子息で通麿という若者が浅茅という京の妓女と相思の仲となりました。しかし、身分が違いますので...
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Vol.8 大石(老ケ石)の話

8『大石(老ケ石)の話』船坂川の上流に大石(別に老ケ石)と呼ばれている大きな石があります。船坂橋から船坂谷道をおよそ二㎞程、渓流に沿って歩きますと、川上の滝手前にある堤防下の雑木の茂みの中にあります。御影石の一種で、亀裂も少なく横から見ると...