5.寒天の出荷 (文:宮本 守)
寒天は3月ごろより、通い職人の“かよいさん”と呼ばれる女の人達により、選別され荷造りされて、桜の咲く4月頃になると、出荷が始まります。
昔、中国に輸出していた頃には、一握りの細寒天を赤い紐で束ねて、荷造りをしていたようです。山口里謡にも寒天について唄われています。
<山口里謡>
ハアー わたしゃ船坂ナー わたしゃ船坂寒天娘
トコヨイヨイ 紅の襷で紅の襷で 海渡る
サッサ ヨイヨイヨイトコ サッサ
(紅の襷:寒天荷造り用の赤い紐)
6.寒天づくりの終息 (文:宮本 守)
寒天づくりの回想は、賑やかな山口里謡で終わりとしますが、今では寒天づくりに命をかけていた人たちも居なくなり、寒天工場もなくなってしまいました。
寒天づくりは、戦前の最盛期には、海外主に中国やヨーロッパ方面に輸出して順調に延びていましたが、戦後は、兵庫県寒天協同組合が結成されて、輸出や販売に努力していたものの、戦後の経済変動や時代の変革等によって徐々に衰退していき、廃業する工場が増えていきました。寒天協同組合も昭和58年8月に解散になり、また最後まで続けていた寒天工場も平成10年に廃業し、船坂の特産品「細寒天」は113年の歴史をもって幕をとじました。
船坂より消えて行った寒天づくりを思うとき、今は昔の虚しい回想のみが残ります。宮本 守