「 てくてく 」一覧

6 船坂の神社仏閣

(1) 山王神社
「“承応2年(1653年)8月村中ノ人民之ヲ創建ス村社“(船坂村地誌)とあるが、それより以前の 天正年間、播州三木の城主別所長治の宗敬が篤くその祈所であったといわれる。天正初め(1582 年)頃、織田信長が羽柴秀吉に命じて播州三木城を攻略させた時、赤松の家臣小野三郎は西尾の砦を守 っていたが、一村ことごとく兵馬に蹂躙され当社(古文。旧記、宝物)も又兵火の難に遭ったと伝えら れている。 かつて、年中行事の秋祭りには、馬場先において盛大な馬遊びの行事があったと言われている。古雅に して勇壮をきわめ、遠近よりの観客で非常ににぎかであったが、現在は中絶している。この神社の氏子は、祭神:大己貴命の神威をおそれ、古来藁を打つのに槌(つち)を使わず、必ず杵(きね)を使用 したとある。 歴代社掌は記録がなく判らないが、現在は、有馬町温泉稲荷神社が兼務している。」(山口村誌)
[註] 平成26年に有馬町温泉稲荷神社から公智神社兼務に変更となった。

(2) 国玉稲荷神社
「明治34年(1901年)、農耕・殖産興業の神である稲荷大社(国玉大名神)を伏見稲荷大社より勧 請し、現在地で奉祀する。平成13年に寒行の100年祭を行う。講員は12名(平成16年現在)」(山 口町史)

(3) 秋葉神社
「100年以上昔、船坂の“西之町”が大火に見舞われた時、当時“西之町”に住んでいた27軒の住 民が発起して造営したと伝えられている。火伏せの神、火消しの神として、「秋葉三尺坊大権現御祈祷寶 牘曹洞宗可睡斎王」と書かれた札が祀られている。現在も、“西之町”の人々によって毎月掃除が行わ れ神饌が供えられている。」(船坂新聞第6号)

(4) 善照寺
「寛正(1461年)2年2月10日、釈善想によって開基したと伝えられている。真宗大谷派(東本 寺末)で、阿弥陀如来を本尊とする。本尊(銅像)は黄金仏とも言われ、「浮足の如来さん」としても知られている。当寺は、はじめ浄土宗であったが、真宗の中興蓮如上人来錫のおり上人に帰依する者が多く、真宗になったと同寺寺記に伝えられている。」(山口村誌)

※阿弥陀如来伝説(抄)
ある夜、善想の夢枕に黄金色の如来が立ち「今、播州上久米村(現加東市久米)の大江ケ池近くに居 る。迎えにきてほしい。」と言って消えた。善想は旅支度をして播州へ向かい、途中、淡河(現神戸市北 区)まで来たとき如来を背負った旅僧に出会った。旅僧は上久米村の者で「あなたと同じ夢を見たので、 この如来を善照寺へ背負っていく途中だ」と言う。善想は、そこから如来を背負って船坂へ戻り善照寺 に安置したという。 船坂へ戻る途中一服したとき、如来が「まだ一里もあるのか。遠。」と言ったという。このことから名づけられたのが船坂北端にある「遠矢地蔵」で、今も船坂の人たちで祀られている。


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