歴史

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1 船坂の地名

「鎌倉初期(1192年)、有馬温泉を復興した仁西上人が、温泉の湯舟の板をこの地で求めたことから、 舟坂(船坂)という地名が始まったといわれているが、これはあくまで伝説であって、船坂という地名 が文献に出てくるのはそれより以降の室町時代である...
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Vol.12 船坂地域の井戸

12『船坂地域の井戸』船坂地域の地下水は温泉や鉱泉の影響で鉱分を多く含んでいるので井戸水には不適当とされていました。特に、山王神社を境として、東南側の地区では鉱分の含有量が多く、殆ど井戸はありません。その場合は山水が利用されました。山水とは...
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Vol.11 船坂川(七合川)

11『船坂川(七合川)』西宮市の最北端に連なる六甲山最高峰の東に雨乞いが行われていたといい伝えられている場所に、通称「石の宝殿」があります。その北側の斜面を水源として船坂川は、地獄谷に落ち、屏風の滝・川上の滝を流れ落ちて、自然信仰の大石の前...
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Vol.10 清水谷古道夜話

10『清水谷古道夜話』今は亡き古老から聞いた話です。古老がまだ子供であった頃、夜になると、おじいさんが煙管の雁首でいろりばたを叩きながら、色々な昔の話をしてくれたそうです。『西宮へ越える船坂峠の八合目位に清水の涌く水飲み場があってな。船坂側...
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Vol.9 琴鳴山

9『琴鳴山』生瀬を過ぎ、国道176号線を湯山街道から船坂方面へ左折してすぐ太田多川の右側の山を琴鳴山と呼んでいます。平安時代の昔、左大臣万里小路盛通の子息で通麿という若者が浅茅という京の妓女と相思の仲となりました。しかし、身分が違いますので...
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Vol.8 大石(老ケ石)の話

8『大石(老ケ石)の話』船坂川の上流に大石(別に老ケ石)と呼ばれている大きな石があります。船坂橋から船坂谷道をおよそ二㎞程、渓流に沿って歩きますと、川上の滝手前にある堤防下の雑木の茂みの中にあります。御影石の一種で、亀裂も少なく横から見ると...
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Vol.7 遠矢地蔵(永井地蔵)

7『遠矢地蔵(永井地蔵)』船坂から金仙寺に下る丁度中間あたり、「田尻橋」を過ぎた東側に一体の地蔵さんが祀られています。遠矢(谷)地蔵とも、永井(長屋)地蔵とも呼ばれています。善照寺本尊の阿弥陀さまが、播州加東郡から夢のお告げで僧に負われて船...
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Vol.6 御前墓の話

6『御前墓の話』船坂墓地(船坂川の西岸付近)の入り口に「御前墓諸霊」の墓碑が建っています。故小桜和子氏の建立(昭和六十二年)で二十六人の賛同者名が彫られています。ある夜、小桜氏の枕元に「霊を是非祀ってほしい」と現れ、賛同者を募って建立された...
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Vol.5 コイツカの話

5『コイツカの話』千三百年程前に行基菩薩が有馬温泉に行かれる途中、船坂まで来たところ旅の疲れで 倒れそうになり、食べ物を所望されたところ、村人は鯉を料理して差し出しました。鯉を食べて元気になった行基菩薩はおおいに喜ばれ、鯉の骨を埋め、塚を建...
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Vol.4 白滝姫の涙水

4『白滝姫の涙水』有馬に向かい、船坂の集落を離れて一㎞程進むと蓬莱峡によく似た景観の場所があります。村人は白水峡と呼び、白水川と呼ばれる川が流れ、船坂川に合流しています。それは遠い昔、奈良時代、摂津国丹生山田の住人、矢田部郡司の山田左衛門尉...