今回は、当新聞の編集委員で4隣保の中尾尚美さんのご登場。インタビュアーの連添いと尚美ちゃんは一歳違いの竹馬の友でとても親しい間柄だし、私も新聞でともに行動しているため、ちょっと微妙な感じでインタビュー開始です。
中)こうして改まると、なんかやりづらいですね(苦笑)
―そうですね(苦)。中尾さんは船坂生まれということで…。
中)はい。3歳から船坂保育園、山口幼稚園は出荷場(現消防分団屯所)前に同世代の子が集まってタクシー通園していました。小学校ではすべての子が顔見知りの”船坂あるある”です(笑)。
―当時の小学校はどんな学校でしたか?
中)体育館はまだなかったので入学式に卒業式、全校給食や雨天時の体育など、すべて講堂(今のランチルーム)で行いました。演台もあったので、今の建物の大きさからするとかなり狭かったはずですが不思議とそんな印象はないんです。私たちの時代は学校が水泳に力をいれていて、夏休みは盆の時期以外はずっとプールで泳いでいたし、高学年になると鳥取で3キロの遠泳訓練がありました。一番上のランクは水泳帽に黒テープ3本つけることができて、それを目指してました。あと、船坂のプールは20mしかなく、一般の水泳大会は25mの往復で50m泳ぐので、船坂では1往復半の60m泳ぐようにしていました。
―時代時代でやっぱり違うんですね。中学校以降は?
中)山口中学校では大人数になったので、やっぱり少し気おくれしましたね。幼稚園時代の同級生もいましたが6年間のブランクはやっぱり大きかった(笑)。クラブは「アタックNo.1」に憧れてバレー部に入りたかったんですが、バスの本数が少なく朝練に参加できなくてあきらめ、影響のない理科部に入部。バスでいえば台風がくると早く帰されるんですが、当時のバスは有馬経由で、有馬でバスが進めなくなって土砂降りの中、ずぶ濡れで歩いて帰ったこともあります。高校は県西で茶道部に入部。始発でないと間に合わないので学校に早くついて学内で朝食。帰りは宝塚で時間つぶしに四苦八苦と”船坂バスあるある”を全て体験してきました(苦笑)。短大は家政科でしたが、バスの時間に合わせての通学は相変わらずでした(笑)。
―尚美ちゃんには習い事・多趣味というイメージがあります。
中)高校時代の延長で茶道、それとお芝居に興味があって立ち振舞いの関係で日舞。あと調理師免許とカラーコーディネーター資格を持っていて、今はFM千里が公募する語り手”カタリスト”活動をしています。活発な性格ではないんですが人のためになることを発信できればいいなぁと思っています。これまで2度、大病を患いましたが、1度目の時は人生に無駄がないようにと予定をびっしり埋める毎日を過ごしてきたんです。でも2度目を越えたとき無駄というか余白を楽しむことが大事なんだな、と考えを改めました。例えば休みの朝の二度寝。こういう余白を幸せに感じて日々を過ごしていければなぁと今は思っています(笑)。
(インタビュアー:中西 学)