今回は下田の田尻橋で船坂川沿いの看板が目を引く[よろずウッド工房]の店主、長谷川伝一(つたかず)さんのご登場。御年84歳ながらいまだ現役で、お住まいの豊中市から船坂まで、ほぼ毎日来られている行動力には頭が下がります<(_ _)>。
―船坂に来られたのはいつ頃ですか?
長)確か平成16年頃だったと思います。最初は船坂でなく金仙寺の三田屋さん近くに移ったんですが知り合いの紹介で1・2年後に今の場所に落ち着きました。
―お生まれはどちらですか?
長)加古川市志方町です。私の家は法華山一条寺近くの山の中で、戦争時の疎開は出向く側でなく迎える側の田舎でした(笑)。家は農家で6人兄弟の末っ子。小さいころから畑作業やレンコン堀り、木の伐採に皮むきなど仕事の手伝いばかり。たまの遊びも池釣りぐらいでしたね。
―加古川にはいつまで?
長)志方町は靴下製造が盛んなので、大阪井池町の繊維問屋で働こうと24歳の時に就職活動したんですけど全くダメで…。結局、繊維と全く関係ない松屋町の菓子問屋に住込みで就職したんですけど、やっぱり希望のした仕事じゃなかったんで社長とケンカして1年たたずに退職しました(苦笑)。
―波乱万丈ですね(笑)。その後は?
長)昔、たこ焼きの皿としてよく見かけた、薄い松の木を使った”舟皿”って判りますかね? 菓子問屋時代の仕入れ先のツテを使ってこの舟皿の取扱いを自営ではじめました。アパートを借りて、営業用の自転車を買って一からのスタートでしたけど、舟皿は当時はたこ焼きだけじゃなく魚・肉・コロッケなどの食品にも使っていて、結構繁盛したんです。時代が進んでプラスチック皿が主流になりましたが、この分野も扱って包装資材・食品容器一式の取扱会社としてやってこれました。68歳頃に私は会社を退き、今は息子が継いでいます。
―”よろずウッド工房”をはじめたきっかけは?
長)家を建てるとき、建築資材は自分で仕入れしたんですけど、ちょっと材木を買いすぎてしまって…(苦笑)。それらを処分する目的で今の”よろずウッド工房”をはじめたはずなのに、気が付けば仕入れを繰り返して15年以上続いてきましたし、休みの水曜日を除いた、9時~16時の営業を止める予定は今のところありません(笑)。
―船坂に来て良かったことはありますか?
長)資材の流通に関しては便利なところだと思います。また、木材の製造加工はやっぱり音の面で配慮する必要があるんですけど、その心配がほとんどないのが嬉しいですね。
(インタビュアー:中西 学)